またまた起こされた「一票の格差」訴訟


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思わず「一見して目を疑ってしまった」記事である。

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衆議院選挙は安倍首相の圧勝に終わった。今回の総選挙は直前に公職選挙法を改正して「一票の格差」を2倍以下に抑えた上で行われた。国政選挙が行われると投票日翌日には弁護士グループがこの手の訴訟を起こすのは「恒例行事」と化しているが、そういう事情もあって

「今回ばかりはやりたくても出来まい」

とタカを括っていたが、それでも提訴に踏み切った。

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提訴した弁護士に言わせると

「1対1ではなく、何の意味もない。国民の多数決と国会議員の多数決が一致しておらず、国民の多数決で法律を作れない状態だ」

「(格差を)『せめて2倍にしよう』というのは、5倍、6倍の格差が通用した時代の話だ」

と、

「あくまで『一票の格差ゼロ』」

に拘るつもりらしい。

最高裁は、2009年の衆院選を巡る判決で、47都道府県にまず1議席ずつ割り振る「1人別枠方式」が格差を生み出す原因だとしてこれの廃止を求めた。その後、同方式の法律上の規定は削除されたが、事実上この方式がベースで選挙区の区割りが行われている、と言うのが原告の弁護士らの主張である。

余りにもバカバカしい話だ。主張の是非以前の話として、この問題、「一票の格差」を算出する際の分母が法律では人口が基準だが判決は有権者数が基準である。日本やアメリカは人口基準だが、英国やオーストラリアは有権者数を基準とする。またドイツの様に投票者数を基準にする国もあり、受け取り方は国それぞれだ。日本でも立法とその是非を判断する司法の判断基準が違うのだから、そもそも議論が噛み合わない。

この弁護士グループは「一票の格差ゼロ」で行われた選挙でないとその結果を認めないつもりの様だが、どういうやり方をしても「区割りを決めた日」と「実際の投票日」にズレが出来る以上、その期間に有権者数の変動は起こるのだから、どういう方式でも「区割り」をする以上、「一票の格差」の発生を回避する事は出来ない。それならいっその事割り切って

「容認できる格差を法律に明記」

した方が良さそうだが、この弁護士グループにそういう考えはない様だ。

一票の格差」を一番手っ取り早く解決するなら

「区割りをせず、日本全国一区で選挙を行う」

しかない。実際オランダやイスラエルはそうしているので「例がない」とは言えないし、日本でも参議院選挙の比例はそうなのでそれほど狂った発想ではない。

勿論候補者が全国津々浦々遊説して回るなど物理的に無理があり過ぎるし、選挙方式を比例にしてしまうと

「政党に属さない候補」は事実上立候補不可能になってしまう。それはそれで「別の問題」を生んでしまうのである。

選挙を行う度に必ず発生する「一票の格差」問題だが、結論を言ってしまうと根本的な解決策、と言うのは極論ばかりかになってしまうか、ドイツの様に「開票後に定数配分」するしかないが、コレでは膨大な手間と大量の落選者を生む事になる。それなら寧ろ

一票の格差をある程度容認」

してその範囲を何処までにするのか明確にしてそれを越えた状態での選挙は無効、と定義する方が現実的だ。この問題、「法のタテマエ」に拘るより現実的な判断が求められるのだが、建前論、理想論に拘る意味が何処まであるのだろうか?

今回の訴訟では前回の参議院選挙の時と同様、国会での取り組みを評価して「合憲」の判断が出るものと予測するが、選挙の度に訴訟が起こされるのはウンザリだ。先に挙げた様に「完全に格差をなくす」事は極めて困難、と言う認識を前提に

「許容範囲」

を何処まで認めるか?国会としても有権者としても考えるべきではないだろうか?理想論者の理想論には付き合いきれない。