あほばか共産党の総選挙総括

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※我田引水な総括であった。

共産党が「衆議院選挙の総括」を行っていたそうなのだが、やはり

「御都合主義」

な総括である、と言えるだろう。
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先の衆議院選挙で共産党は12議席に留まり、選挙前の21議席を大幅に下回った。コレには流石の志位和夫
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※で、責任はどう取るの?

と、「自分達の力不足」を敗因と認めるよりなかった。また21議席を獲得した14年末の総選挙については

「他に入れる所がなかった故の『消極的支持だった』」

としてネットを活用した党勢拡大活動の強化に取り掛かるのだと言う。

…一見「まともな総括」に思えるかも知れないが、他党ならいざ知らず、共産党に限ってはこれだけの大敗を喫して置きながらトップである志位和夫の責任を問う声一つ出なければ、自ら「その責任」を明確にする事もない。コレが民進党だったらトップの責任を問う声で溢れかえって総括は「党首吊し上げ」の場と化し、トップは「責任」として出処進退を明確にする事を否応なく迫られるであろう。流石全政党中唯一

「党首を党員の直接選挙で選ばない」

政党なだけの事はある。
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※そんな理屈は通用しない。

志位和夫の言い分として

「『野党共闘』を優先して候補者を取り下げた」

と言う理由はあるのだろう。また志位和夫言わせれば

「立憲民主、社民と連携した結果、立憲は躍進し、共闘勢力は大きく議席を増やした。一方的に候補者をおろしてでも共闘を優先した判断は正しかった」

のだそうだが、それでも結果は

「与党に『3分の2』を取らせる」

結果だった。「残りの3分の1」内でのパイの奪い合いにどれだけ勝った所で所詮は「お山の大将」の域を出る事はなく、それでどの様に「安倍政権と言う『巨大与党』」に対抗するのか展望は全く見えない。具体的な対案が出る訳でもなく、政権批判に明け暮れている様な体たらくで国民の支持を得られる、と本気で思っているのだろうか?そう思っているのなら

「救いのない阿呆」

でしかないのだが…

それでも志位和夫
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※そこに拘っても先はない。

と、鼻息荒く「野党共闘」に拘っているが、それを言い出してから臨んだ昨年の参議院選挙、先の総選挙はいずれも

改憲勢力に『3分の2』を許す」

最悪の結果に終わっているのが「現実」である。これでは

「共闘」と言うより「共倒」

と表現する方が正確であろう。
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※相手が安倍首相ならそれでも勝てないだろう。

「全体で『3分の1』も取れない」

結果の前で「局地的な勝利」がどれだけの意味を持つと言うのか?志位和夫は次回の参議院選挙でも早速

「相互推薦の共闘」

を呼び掛けているがコレに対して枝野幸男

「(共闘が)一定の成果を上げたことは十分に視野に入れなければならない」

と、しながらも

「それぞれの党の意見があるのだろう。まだ他党との関係について考える段階ではない」

と、ノリはイマイチである。
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※距離を取り始めた?

結局志位和夫の言う「共闘」そのものが「民意」を得ていないのだ。志位和夫にそういう「自覚」があるとは到底思えないが、その認識がない限り何度選挙をやっても安倍首相が相手である限り

「『局地的な一部の勝利』はあっても全体としては『敗北』」

と言う状況からは抜け出せないであろう。「共闘」するにしてもその在り方からして「根底から」見直さなければ意味がない。
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志位和夫の言う「市民」とは誰を言うのか?

志位和夫は頻りに

「野党と市民の共闘」

と言うが、その「市民」とは一体誰の事を言うのか?少なくとも北朝鮮がミサイルを発射したにも関わらずTwitterの公式アカウントで情報提供もしないのでは共産党が「真に国民の事を考えている」とは到底思えない。志位和夫の言う「市民」が「大多数の日本国民」を指していない事は明白である。

自国民の方を向けない政党に政治を担う資格はない。その意味では共産党などの「あほばか野党」は在り方が間違っているどころか存在意義からして「ない」のである。
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※国民の事を考えない政党など必要ない。