バカ騒ぎ「憲法教」騒動
と、持ち上げたのだが、この表現が
「憲法尊重・擁護義務に反する」
と炎上し、稲田氏はは当該ツイートを削除した。
成程、憲法99条は以下の様に規定されている。
稲田氏は国会議員なのだから当然この規定が適用される事は論を待たない。だが、
事もまた明らかである。何故なら憲法に次の条文があるからだ。
日本国憲法も「改憲」を想定した条文を備えている。憲法改正案は国会が発議して国民がその是非を判断する規定になっているが、国会議員に「憲法尊重・擁護義務」をそこまで負わせたら憲法改正議論そのものが憲法違反、と言う事になってしまう。そんなバカな事が罷り通る筈もない。従って憲法99条の規定は政治的権能を有しない天皇陛下や摂政はともかく
「国務大臣や国会議員、裁判官その他公務員が『その職務を遂行するにあたって』」
と解釈されるべきではないのか?そもそも稲田氏が出席した日本会議の会合、「国会議員」の立場で出席したとしてもそれは「公務」ではない。そう目くじらを立てる話ではないだろう。所詮は左翼界隈の「言葉狩り」「言論弾圧」の域を出ない。
※結局は自民党の女性議員を潰したいだけ。
だが、それでも
「憲法は一字一句変える事は罷り通さない」
と言う態度以外の反応をしない。現在の憲法が施行されて70年以上経ち、日本を取り巻く状況も、「人権」に対する考えも変わってきている。憲法がそういう「変化」に適応出来ていないのは明らかである。それにも関わらず
「憲法は一字一句変える事はならない」
と言うのはどう考えても異様だ。日本国憲法が法の求める「完璧」な姿であるとか、「理想形」であると言うなら話は別だが、それを論証出来る人は居るのだろうか?居ようが居まいが関係ない。それを行って初めて
「憲法は一字一句変える事はならない」
と言えるのである。
「完璧」「究極の理想形」でなくても「一字一句変える事が出来ない」ものがあるとすればそれは
「宗教の教義」
しかない。如何なる宗教であれ、他から指摘されて教義を変えるのでは宗教失格、と言われてもおかしくないし、信者としても自身が信じる宗教の教義を貶されたりすれば怒り出すだろう。良くも悪くも護憲派の反応は外から見ればそれと大差ない。
「改憲してはならない」
こんな連中を説得するなど「時間の無駄」でしかない。改憲を望む政治家は護憲政治家より、一般国民に改憲の意義や必要性を説いた方がよっぽど意味がある。憲法改正の是非を最終的に判断するのは主権者である国民である。議論を「相手の主張を否定する」としか考えないのであればそういう人間は国会には要らない。将来改憲されたとしてもそういう人だけで傷を舐め合っていれば良い。「何が国家国民の為になるのか?」政治家として最も大切な原点に立ち戻って「現在に相応しい憲法の在り方」を考えたいものである。