LGBT発言、叩くだけが能ではない
「問題への理解不足と関係者への配慮を欠いた表現があることも事実であり、本人には今後、十分に注意するよう指導した」
「党規約による杉田議員の処分」
「杉田議員の謝罪と寄稿撤回」
を要求している模様だ。
※杉田議員の寄稿文全文。
「子供は男性と女性の間から産まれる」
と言う「生物学的な壁」をどう乗り越えると言うのだろうか?良くも悪くも杉田議員はそれを前提にして主張をしているが、それを「誤り」だと言うなら「どうやって政治の力で生物学的限界を越えるのか?」抗議する側が具体的な方法を示すべきであろう。また杉田議員の挙げた例で言うなら
反論すべきであろう。問題発言だと言うならキチンと反証して誤りを指摘し、論証すれば彼女も誤りを認めて謝罪するではないのか?「差別だ」の一点張りで抗議して杉田議員の謝罪と寄稿の撤回を得たとしても問題の解決に何処まで繋がるのか疑問も湧く。
とは言え、杉田議員の表現にも問題はある。「生産性」と言う表現は誤解を招く。「生産性」とは経済学の観点で言うなら
「より少ない労力と投入物(インプット)でより多くの価値(アウトプット)を産みたいと言う考えから生まれてきた概念」
であると言えるが、そもそも「行政による税金の投入」は「企業の投資」とは意味が違う。企業活動であれば
「投資<利益」
となる事を目指して投資を行うが、行政はそうではない。例えば少子化対策として子作り支援を行うとする。効果が表れ、新生児が誕生すると次は当然「子育て支援」が用意されていなくてはならない。数年経てば「就学支援」等と更なる支援を行わなくてはならなくなるだろう。産まれてきた子供が「納税者」となるには20数年は待たなくてはならないが、全員が産まれた地元で就職するとは限らない。当人達が東京や大阪の様な大都市での生活を望んでそこへ行ってしまえば彼等から「納税」と言う形での「投資に対するリターン」はなくなる。普通に考えれば「大赤字」となり、企業がこの様な投資の仕方をする事は絶無だと言える。しかし行政は違う。例え行う支援が更なる支援を呼び、それに対するリターンのアテが無くても住民に必要な支援や施策を行うのが「行政」である。そういう意味では「行政のやる事に経済学の概念から来る表現」を用いたのは「誤解を招く」と言う批判は免れないだろう。その点は本人がキチンと真意を説明すれば済む話ではないのだろうか?これだけの騒ぎになった以上、杉田議員にもそれについての「説明責任」はあると言えるであろう。
また、寄稿文で杉田議員が指摘した「LGBとTの区別の必要性の是非」や「LGBTの人達が周囲の人間、特に本人の親からの理解を得る為に何が必要なのか」と言う点を正面から論じている識者は余り見かけない。その点を論じてこそ、「差別や偏見」の解消に繋がるだと思うのである。