改元の意味を理解していない志位和夫
※新元号を批判するのは「心が狭い」証明だ。
新元号が「令和」と決まった。これについて様々なコメントが様々な立場から出ているが、総じて
「批判する人間は『小物ばかり』」
と、しか思えない。
例えば石破茂は
「違和感がある。『令』の字の意味について国民が納得してもらえるよう説明する努力をしなければならない」
「『令』は『命令』の『令』であり、安倍晋三政権の目指す国民への規律や統制の強化がにじみ出ている」
と、コメント。
「令」と言えば「命令」の「令」としか思えない思考回路の狭さに辟易してしまう。ちょっと調べれば
「よい、りっぱな」と言う意味がある事はすぐ解る。何でもかんでも「安倍批判」に結びつけるのは短絡的である。
と、批判した。志位和夫の言う通り、「元号」とは支那皇帝が「時をも支配している」事を知らしめる為に考案されたもの。そこについてはその通りだが、日本で現在、元号は「そういう意味で使われていない」事を無視している。
「新天皇即位」
の時だけ行われるが、江戸時代までの改元例を見ると
「災害が原因」
になっているケースが目立つのである。
鎌倉時代以降、幕府が政権を担っていてもこの点は変わらず、災害発生や戦乱、と言った
「世間における凶事」
つまりそれは
だったのかも知れないが、少なくとも平安中期には
「世間における凶事」
日本はある意味「民主主義を超越した」と言える「君民統治」の国だ。改元も‼
天皇の都合」だけではなく
「国家国民の為」
行われていたのだ。また、現在の元号も
「元号法」
「国民主権に馴染まない」
と言うのは
と言う証明である。
何でもかんでも「批判すればいい」と言うものではない。伝統や歴史があるものにはそれなりの理由がある。それを理解してモノを言わないとこの様に
「自らの愚劣さ」
を世間に晒すハメになる。憲法9条改正反対論でもそうだが、
「変えてしまうとそれまでの流れが断ち切られる」
と言う前提でモノを言うのが左翼の特徴だが、全くの「見当違い」である。
左翼に言わせると「保守」とは「守旧」に等しい。だから対義語が「革新」なのだろうが、本来「保守」とは
「それまでの伝統や習慣をベースにして更に発展させていく」