山本太郎の「士道不覚悟」

イメージ 1
※憲政史に汚点を残すだけだ。

山本太郎が「憲政史に汚点」を残そうとしている。

イメージ 2

山本太郎自由党を離党し、政治団体「れいわ新選組」を設立し、参議院選挙に臨むのだと言う。そうするのは本人の自由だが、「ネーミングセンスのなさ」は筆舌に尽くし難い。本人曰く

浮動票を取り込める野党はそんなにない。違う角度から野党結集を目指す」

のが目的で、支持者から募った寄付額に応じ、参院選の候補者の擁立人数を決めるとし、5月末までに1億円を集めたい考えを示したが、山本太郎政治団体山本太郎となかまたち」の収入は、2016年は2120万1146円で2017年には56万1510円だと言うから当人が望む「1億円の寄付」を集める事が可能かどうかには疑問符が付く、と言うか、厳しそうだ。1億円の寄付が集まらなければ参議院選挙に無所属で出馬するのだと言う。

イメージ 3
※「本物」の元新撰組隊士より。

「れいわ」は言うまでもなく新元号から、また「新選組」は幕末の「新撰組」と、本人の言う「新しい時代に新しく選ばれる者たち」をかけたのだろう(注:山本太郎は俳優としてNHK大河ドラマ新選組!』に原田左之助役で出演している)が、

「この国に生きる人々にお仕えし、お守りいたすという考えだ」

等と言う割に

新しい時代に新しく選ばれる者たち」

と言う選民思想とも受け取れる表現が両立する訳がない。政策としては「消費税廃止」「最低賃金全国一律1500円の政府補償」「奨学金政令」「公務員増員」「第一次産業個別所得補償」「『トンデモ法』の一括見直し・廃止」「辺野古新基地建設中止」「原発即時禁止・被曝させない」を掲げている。従来からの本人の主張、と言えばそこまでで要するに日本をダメにする悪夢の政策の羅列に過ぎない。実際にそういう政策を実行した国もあるがその結果どうなったのか?を見れば答えは自明の事だ。今回の選挙で山本太郎は「落選させるべき」なのは論を待たない。

イメージ 4
※自分の主張を実践した国がどうなったのか知っての事か?

山本太郎は今回の参議院選挙で改選、自由党では共同代表の立場だ。幾ら自由党の様な泡沫でも単独候補よりはまともな選挙戦を戦えそうにも思えるが、このタイミングでの離党表明は

自由党所属では再選は厳しい」

と言う判断があったのではないだろうか?自由党共同代表で落選でもしようものなら党に与えるダメージも大きい、と言う小沢一郎への配慮もあるのかも知れないが、理由はどうであれ

イメージ 5
新撰組局中法度。

自身の当選を最優先にした離党は「士道不覚悟」と判断されても致し方なかろう。勿論「離党」と言う自由党への「裏切り行為」は第2条にも反するとも言える。

新撰組幹部を演じ、自身の政治団体にその名を引用しておきながらこれではお話にもなるまい。そもそも

新しい時代に新しく選ばれる者たち」

と言うのが名前の由来だと言うなら「選ばれる」以上「新しい時代に新しく選ばれない者」も居る事が前提になる。山本太郎のこれまでの言動から推察するなら「選ばれない者」とは安倍首相やその支持者、となるのだろう。また「選ぶ」のが「自分達」と言うなら傲慢にも程があるし、それ以前にそれは既に「民主主義」ではない。

こういう思想の人間を政治に関わらせてはならない、と言うのは日本が「民主主義国家」である以上、

「必然の一択」

である。選挙区であろうが比例であろうが立候補したところで「NO」と言う「民意」をこの者には明確にしなければならないし、こんな発想で野党が結集する事自体「民主主義社会ではあってはならない事」なのである。その意味では行動そのものが

「社会に対する有害行為」

だと断定できる。

※「政党名ロンダリング」はもう通用しない。

幾ら新しい理念を掲げて新党を立ち上げても有権者は「党でなく人」を見るようになっている。山本太郎のこれまでの言動を見れば幾ら新しい理念を掲げて新党を立ち上げても有権者の出すべき答えは「NO」であるべき事に変わりはない。その意味が理解出来るなら山本太郎は何も言わずここで政治家を引退して活動家にでも転職すべきであろう。その程度の器でしかないのだから。

いずれにせよ、山本太郎が「れいわ新選組」を立ち上げる事を表明した事でそれが

「平成最後の新党」
「令和最初の新党」
「令和最初の解党」

のいずれかとなる可能性は極めて高い、と言うか「ほぼ確実」である。それだけでも「憲政史における『汚点』」である。つまり存在そのものが

「憲政史に対する冒涜」
「新元号に対する冒涜」
新撰組に対する冒涜」

なのである。それだけでも十分に腹立たしい。やはりこの者には「落選」と言う「民意」を示さなくてはならない。

イメージ 6
※だって前回は中核派支援だったからな。