新紙幣に採用された渋沢栄一にケチを付ける韓国の愚
※新紙幣のデザイン一覧。
2024年をメドに紙幣のデザインが一新される事が発表された。不肖筆者も初めて知ったが、偽造防止などの理由で「20年毎に」紙幣のデザインは変更しているのだと言う。気になる「紙幣の肖像画の人物」は1万円札が渋沢栄一、5千円札には津田梅子、1000円札には北里柴三郎だと言う。2000円札は変更されない模様だ。
渋沢栄一は「日本資本主義の父」と言われる程明治以降の日本経済の発展に貢献した人物であり、津田梅子も女子教育の観点で多大な功績を残した。北里柴三郎の医療における業績にケチを付けよう、なんてのは居ないと言っても過言ではなく、紙幣に登場するに相応しい人選だと言えるだろう。
だが、「1万円札に渋沢栄一が採用される」事に何故か韓国から反発が起きているのだが、その主張は余りにも愚劣すぎて「笑いのネタ」にしかならない。
韓国人に言わせると渋沢栄一は
なのだと言うが「見当違い」も甚だしい。渋沢栄一が設立した「第一銀行(現:みずほ銀行)」は朝鮮半島にも支店を出していた。1884年の事で、武力を背景に強引に乗り込んだのではなく、当時の李氏朝鮮政府と契約して釜山、仁川、元山での海関税を取り扱っていたのだ。
「契約に則った通常の取引」
がどうして「収奪」なのだろうか?そもそもこの記事を書いた朝鮮日報は
<日本による植民地時代の1902-04年に大韓帝国で発行された最初の紙幣に渋沢の顔が描かれていた>
と言うが、日韓併合条約の締結は1910年。堂々と嘘を並べ立てるものではない。
だが、朝鮮半島における「最初の近代的紙幣の肖像画」が渋沢栄一であった事は事実だ。先述した様に渋沢栄一の設立した第一銀行は朝鮮半島での通関業務を通じて李氏朝鮮政府と関係を深めていた。その影響で日本の貨幣は朝鮮半島でも流通していたのだと言う。
「無記名式一覧払い約束手形」
を発行した。この約束手形は、結果的に実質的な紙幣として朝鮮半島で流通し、それ故大韓帝国は1905年に正式な紙幣として承認せざるを得なかった、と言う経緯がある。だから韓国での「初の近代的紙幣の肖像画が渋沢栄一」となった訳だが、韓国からすれば「記念すべき初の近代的紙幣の肖像画が日本人」と言う「黒歴史」となる。だから今回、日本が新紙幣に「渋沢栄一を登場させる」事が不満なのだ。
だが、言うまでもなく「自国の紙幣のデザイン」は他国から干渉を受ける筋合いのものではない。渋沢栄一が設立に関与した企業は多数あり、また日本赤十字社や一橋大学や東京経済大学の設立にも携わっている。また、女子教育にも尽力し、日本女子大や東京女学館の設立にも携わっている。特筆すべきはそれだけの功績を残しながら「渋沢財閥」を作らず、生涯「私利を追わず公益を図る」と言う考えを貫き、実践した事であろう。そういう人物であれば朝鮮半島に進出したのも「私利私欲」と言うより貿易を通じて「日本と朝鮮の経済発展」を目指していたであろう事は想像に難くない。韓国メディアはもう少し「人物について勉強」してから記事を書くべきであった。
※貨幣を発行する政府に信用がないとこうなる。
「経済」や「貨幣」と言うのは今も昔も為政者の頭を悩ませる「モンスター」の様な存在だ。例えば日本の1円玉は「アルミニウム1g」だが、極端な話、今現在アルミニウムの相場が「1kgあたり2千円」だとすれば
「『1円玉を1円』ではなく、『1gのアルミニウム』」
として扱った方が価値は倍増する。だが、そんな事をする奴は少なくとも日本には居ないだろう。それは1円玉を発行している日本政府の「信用が世界でも絶大」だからである。貨幣の価値を決めるのは材質でも額面の数字でもない。「発行している政府の信用」なのだ。
「当時の朝鮮人は『自国政府の保証する貨幣の額面価値』より『日本の銀行が発券する手形や紙幣』を信用していた」
からに他ならない。貨幣を発行する政府に信用がないと最悪上記のジンバブエ市民の声に代表される様な「ハイパーインフレ」となる。察するに大韓帝国が行った貨幣改革とやらは「失敗に終わった」のであろう。だからこそ日本の銀行が発券する手形や紙幣が流通する結果となったのだ。
結局話を突き詰めると
「大韓帝国時代の経済政策の失敗」
が根底にあり、それをフォローしたのが渋沢栄一だった、と言えるだろう。韓国メディアにその事実を無視して出鱈目な論説を掲げる資格など「最初から『ない』」のである。それに加えて人物の考証も出来ていなければ基本的な歴史的事実もまともに理解していない。そんな程度だから韓国メディアは
「人選は安倍首相の右傾化の影響」
なんて意味不明の主張に走る事になるのだ。
日本は新元号「令和」と共に新たな時代への道を歩む。韓国は何時まで「嘘出鱈目の過去」に執着するのか?韓国が「日本の眼中から消え去る」のは時間の問題である。遅くとも新紙幣の発行までにそうなる事を願ってやまない。