来年の大河ドラマ「おんな城主直虎」は実は男だった?

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※女性が主人公であることがドラマのウリならドラマが成り立たなくなる。

今年のNHK大河ドラマ真田丸は好評のまま最終回を迎える事が出来た。そして来年の大河ドラマ今年と同じく戦国ものの「おんな城主直虎」だが、放映間近のこのタイミングで

「直虎は男だった」

可能性を示す史料が発見された、と15日に報道されたのは記憶に新しい。

「おんな城主直虎」は戦国時代の井伊家を舞台とし、戦乱の中、一族が次々と亡くなっていく中で主人公のおとわは井伊家の男子唯一の生き残り虎松(後の井伊直政を守りながら「女城主」として様々な困難に立ち向かう、と言うストーリーの様だ。

戦国時代は実際に「女性の家督相続」や「城主」として認められるケースもあった様だ。かの織田信長の叔母である「おつやの方」も美濃岩村城として知られている。…尤も彼女は甥の信長によって悲劇的な最期を迎える運命だったのだが…

…とは言え、今回の場合はドラマが根底から覆されかねない、と言う意味では「とんでもないタイミングでの」発見である。戦国の動乱の中で女性が逞しく生きていく姿を描く筈のドラマの主人公が「実は男性でした」ではドラマが成り立たないし、この段階で脚本や主演を変更する訳にもいくまい。

NHKの広報は

「ドラマはあくまでフィクションであり、影響はないと考えている」

と言うが…
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http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20161218/enn1612181000001-n2.htm


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※放映中に設定を覆す発見があった。
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※映画版の合戦シーンは大迫力。

実は似たような話が大河ドラマにはある。大河ドラマ初のカラー作品だった天と地とでの事である。天と地と上杉謙信を主人公に第4次川中島の戦いまでを描いた作品だが、意外にも原作には武田信玄の武将、山本勘助は登場しない。これは当時「山本勘助架空人物説」があり、原作者の海音寺潮五郎がこれを採用したからだった。しかし、ドラマ放映中に武田信玄の家臣の「山本菅助」なる人物の存在を記した「市河家文書」と言う史料(信玄直筆の手紙)が発見され、武田信玄の家臣として「山本菅助」と言う人物が存在していた事が証明されてしまったのだ。(注:戦国時代の人名の漢字は当て字で余りアテにならない)勿論、だからと言って山本勘助が急遽登場、と言う事にはならなかった様だ。…ただし90年の映画版以降では最早山本勘助の存在を無視出来なくなっていたので原作と違ってしっかりと登場しているが…

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※新たに発見された史料。

…話を井伊直虎に戻すと、これまで直虎については、江戸時代中期に浜松市龍潭寺の和尚が記した『井伊家伝記』で、度重なる当主の戦死などで幼い男子しか残らず、その後見人として井伊直盛の一人娘の「次郎法師」が「井伊直虎」と名乗って井伊家を救った、との内容が記されており、「おんな城主直虎」もこれがベースであろう。桶狭間の戦いで戦死した井伊直盛の娘が「次郎法師」と名乗っていたのは、まず間違いなく、証拠もある。そしてこの時期に、井伊家惣領である「井伊次郎」を他に名乗った人物がこれまで見つからず、また浜松市にある蜂前神社に残されている文書に「次郎直虎」という記述があることから、「次郎法師イコール直虎」と、されていたのだ。(参考及び引用:井伊直虎は男だったと言う新説を検証する

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※新たに発見された「井伊次郎」と「次郎法師」は従兄弟になる。

ところが、今回発見された史料には

井伊谷が複数の武士による勝手な支配で鎮まらないため、今川氏真が、家臣の新野左馬助親矩(女性の次郎法師直虎の叔父)の甥である関口越後守氏経の子(次郎法師直虎の従兄弟)を井伊谷の領主の「井伊次郎」とし、治めさせた》

との記述があったのだ。ただし、「井伊次郎=直虎」とまでは書かれてはいなかった。これだけでは「直虎が男だった」とまでは断定は出来ないが、過去には関口越後守氏経と次郎直虎の連署がある書状が発見されており、この二人が父子である事を考えれば「女性の次郎法師直虎を叔父が補佐していた」と、言うより「若くして当主になった子を父が補佐していた」と言う方が構図はしっくり来る…と言いたいが更に話をややこしくしているのが

《女性の次郎法師を女地頭だったとした「井伊家伝記」は、1730年に井伊家の筆頭家老だった木俣守貞なる人物が井伊家の由来を調べるために龍潭寺の和尚に依頼してまとめさせたもので、今回発見された新資料はこれも守貞が、先祖の木俣守安が1640年に新野左馬助親矩の娘らから聞き書きしていた記録を、1735年にまとめたという「雑秘説写記」と言う書物》

と、言う点であろう。つまり井伊直虎に関する新旧二つの説の根拠となる史料は同一人物がその作成に関わっていたのである。矛盾する記録を見て一体木俣守貞は誰を「井伊直虎」と判断したのか?新史料の

《1640年に新野左馬助親矩の娘らから聞き書きしていた》

と、言う点は時代が近いだけに有利に思えるが、それでも木俣守安は80年近く前の話を聞いていた事になるし、1640年時点で新野左馬助親矩の娘らは相当な高齢でなくてはならない。何処まで記憶が正確だったかなど判断の仕様もないし、その話の根拠が100%本人達の体験に基づくもの、とは限らない。結局これだけでは議論に一石を投じる事はあっても教科書を書き換えるまでには至らない。

…とは言え、相当な戦国通しか知らない様な人物が大河ドラマなどの主役になって考証の対象として新たな発見がされるのは歴史を知る上で大いに有益であろう。ドラマはドラマとして楽しめばいいのであって、これで井伊直虎の正体に迫る研究が進み、また新たな発見や、直虎の正体がハッキリするかも知れない。この発見は「おんな城主直虎」にとっては注目度を上げる「福音」になるかも知れない。それが出来るか否かはNHKの手腕次第、そちらも要注目であろう。
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※仮に直虎が男だと証明されても頑張って貰いたい。