人権抑圧国家を志向する韓国

※足元の阿呆共をどうにかしないと「日韓友好」なんてあり得ないぞ。
 
「似非民主国家」
 
それが韓国と言う国を評するに相応しい表現であろう。理由は簡単だ。真の民主国家と言うのは以下の記事にある様な発想を決してしないからである。法で「学問の自由」「思想信条の自由」「表現の自由」を抑圧する様な真似をする国家に「民主国家」名乗る資格はない。
 

 
韓国与党「共に民主党シンクタンクだと言う「民主研究院」とやらで
 
「日本による朝鮮半島統治を擁護する言動を取り締まり、処罰する必要がある」
 
などと提言がされているらしい。
 
※この写真一枚からでも朝鮮半島の近代化は日本の統治によるものなのは明白。
 
「民主国家」とは思えない「異常な提言」である。韓国人が幾ら地団駄踏もうが
 
「日本が朝鮮半島を統治した事で近代化された」
 
と言う「歴史的事実」は揺るがない。上記の画像、1880年代と1936年の同じ「ソウル南大門通り」の写真だが、インフラ整備が日本の手によるものなのは明白であろう。韓国人がどれだけ「日韓併合は歴史的屈辱」と、考えていても現在から「その事実」変える事は不可能だし、また残された史料や記録をどう分析・解釈しても「韓国人の考える植民地支配」と言う結論には辿り着けない。
 
日韓併合を伝える当時の新聞。
 
当時の新聞を見ても「韓国(大韓帝国)皇室は日本の準皇族」と、明記されている。他国を武力で制圧したならこの様な厚遇はされない事が殆どであろう。多くの場合、「一族皆殺し」と言う悲惨な目に遭うケースなのは朝鮮半島が「宗主国」と仰ぐ国の歴史で繰り返されて来た事である。
 
日韓併合、と言う「歴史的事実」を客観的に研究して
 
「日本の朝鮮半島統治は韓国人の考える『植民地支配』ではなかった」
 
と言う結論に達する事は「学問の自由」であり、それを自分の見解として発表する事は「表現の自由」「言論の自由」である。また研究者でなくても、それらの見解を見聞きする、自分で調べるなどして同様の見解を持つ事は「思想信条の自由」である。それら全てが「基本的人権」に含まれるものであり、最初から「法で規制される性質のものでない」事は「民主国家」を名乗る国家においては「当然かつ常識」の事である。それらを「法で規制しよう」と言う発想がある事自体が「『民主国家』を名乗る資格はない」と、自ら証明しているに等しく、本当にそれを実行すれば韓国は「人権抑圧国家」と言うレッテルを自らに貼る結果となるであろう。その覚悟があるならやってみるが良い。…と言いたい所だが相手は北朝鮮の様な独裁人権抑圧国家なんぞに憧れる文在寅とその追従者共だ。寧ろそういう監視抑圧社会を志向しているだけに本当に「やりかねない」危うさがある。そういう意味でも危険人物であると言えるだろう。
 
※韓国人が思う以上に事態は深刻である。
 
そして韓国人はこの様な提言が「歴史の真実」云々と言う問題以前に「目の前の自分達の人権」問題だと認識しなくてはならない。「日韓併合の真実」より現実問題としての「自分達の人権」の方がどう考えても「重要な問題」の筈だ。「反日」に命を賭けられるなら話は別かも知れないが、それよりも「自分達の人権」の方がよっぽど大事なのではないのか?それでも「反日」を取るなら日本は韓国を見捨てれば良い。「自分達の人権」を取るなら韓国人は早急に文在寅政権を打倒するよりない。どちらを選択するのか?この一件は韓国や韓国人にとって「自分達の行く末」を左右する大問題である。日本は「高みの見物」を決め込んでいれば済む話だ。日本では韓国と違ってそういう愚劣な事を考える阿呆共が政権の座に就く事は「もうない」のだから。