無意味な「あいちトリエンナーレ」慰安婦像設置可否の検証


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※芸術性ゼロの醜悪なオブジェ。


芸術性ゼロの「醜悪なオブジェ」でしかない「出鱈目慰安婦像」なる代物を展示して批判を受け、展示を取り止めた「あいちトリエンナーレ」。有識者による「在り方検証委員会」とか言う組織がこの醜悪なオブジェの「再展示」提言するのだと言う。有識者と言うが、所詮は肩書だけの「表現の自由」の意味さえ理解しない愚物集団に過ぎなかった様だ。


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https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190922-00050128-yom-soci

 

そもそもこの醜悪なオブジェは「慰安婦を象徴する」と言う性質が最初から与えられており、芸術目的で製作されたものではない。「慰安婦」に対する歴史認識がどうであれ、この事実から目を背けている時点で「間違っている」と言える。


座長を務めている山梨俊夫とやらは


「作品を見せないことには(議論が)始まらない」


等と言っている様だが、既に圧倒的多数の人が「不適切」と回答していた調査結果がある。また、慰安婦が「強制連行された性奴隷」と言うのは虚構に過ぎない事は朝日新聞でさえ認めている事実だ。その時点でこの醜悪なオブジェの「存在意義」そのものが消滅しているに等しく、その意味では「過去の遺物」でしかない。


また、「あいちトリエンナーレ」は「芸術展」である。芸術作品として製作された物が政治的に利用された、と言う経緯があるならともかく、この醜悪なオブジェの場合、


「最初から政治目的で製作された」


代物だ。そもそもからして展示会の目的にそぐわない事は明白だが、それを検証委員会は理解しているのか?それは「表現の自由」以前の問題なのだが、それを「表現の自由」の問題として論ずる時点で「論理のすり替え」が行われている。それが判らないなら「検証」する意味さえない。わざわざ「検証委員会」など設置して検証しても「事の本質」を理解していないのであれば時間と労力、それに資金の「無駄遣い」でしかなく、この検証委員会が出した結論はそれを見事に証明している。100%私費で運営しているならそれでも「自由」と言えるが、この芸術展には公金、即ち愛知県民が払った税金が使われている。そういう意味でも「不適切」である事は論を待たない。


また、河村たかし名古屋市長はこの「醜悪なオブジェ」の「芸術性」を説明するよう求める公開質問状を愛知県知事の大村秀章に提出したと言う。大村秀章がどんな回答をするのか見物だが、回答出来ないなら「再展示する大義名分」がないと証明するに等しい。この問題、まだまだ続きそうである。