嫌韓を批判する毎日新聞の愚

※この安倍首相の発言に対する毎日新聞の反論はない。
 
毎日新聞が「またもや」嫌韓批判の記事を書いていたが、結局のところ「論点ずらし」と「ブーメラン」終始する愚劣な内容だった、と言える。
 

 
毎日新聞に限らず、左派のメディアを中心にこの手の「嫌韓批判」記事は数多く出ている。そしてそれらの記事は一様に
 
 
と言う前提でその主張を行っているケースが大半であると言えるだろう。
 
韓国を好きになったり、またその立場を擁護する「自由」はある事に疑いの余地はない。だが、そういう主張をする人間に限ってどういう訳か
 
「自身の主張に反対する意見」
 
を決して許容しないし、客観的な事実を突き付けて主張しても
 
 
と決め付ける。日本国憲法が保障する権利や自由は自分達の為だけにあるとでも思っているのだろうか?
 
※こんな隣国をどう信用しろと?
 
また、この手の左派が「嫌韓」批判しても「決して触れないテーマ」と言うのがある。それは
 
「何故『嫌韓』がこれだけ多くの人が口にする様になったのか?」
 
と言う事である。
 
何処の世論調査を見ても「韓国を信用出来ない」「安倍首相の対韓政策を支持」と言う内容の回答が多い。良くも悪くも「嫌韓」が一部の過激なネット民の「暴走」と言う事でないのは明白だし、メディアもそれは否応なく認識している事であろう。それにも関わらずメディアは「嫌韓の原因」決して探ろうとはしない。「嫌韓」問題視そ、そういう風潮を批判するのも、また日韓関係の改善や友好促進を主張するのは結構な事だが、現実に「日本人の多くが持っている」嫌韓感情発生の原因を明確にし、それに対する具体的な対策や提案をしなければ意味はないのだが、メディアは決してそうしない。何故か?
 
※こういう真似を報じる日本のメディアは殆ど存在しない。
 
答えは簡単な事で
 
「韓国の度を越えた反日
「韓国が国際法や国家間の合意を守らない」
「韓国の嘘出鱈目が余りにも酷い」
 
からである。どんな理由や事情があろうともメディアがそこを避けている限り
 
嫌韓はなくならない」
「そういう主張をするメディアもまた批判の対象になる」
「肝心の論点を欠いた主張はおかしなものになる」
 
と言う結果は必ず発生する。それどころか「韓国の不都合な真実」を覆い隠せば隠すだけ
 
ネットで真実が暴かれ、更に嫌韓感情を増大させる」
 
悪循環となるのだが、その意味を判っているのだろうか?言論で飯を喰っているなら「論点ずらし」と言う卑劣な手段に頼らず、正面から「嫌韓感情を論破する」ロジックをぶつけるべきなのである。偉そうな事はそれをやってから言うべきである。
 
毎日新聞のジャーナリズムなど「偽善」でしかない。
 
その点、この毎日新聞の記事はナチス引き合いに出して現在の「嫌韓」をそれと同一に論じているが、そもそもの前提からして違うのに同一に論ずる事には無理がある。
 
この当時のドイツの場合、「ヴェルサイユ体制への不満」ドイツ人の根底にあった。ヒトラーはそこに付け込む事で政権を奪取した、と言う側面もあるだろう。だが、日本の場合、毎日新聞もそうだが、「戦後体制」に満足している人の方が多い。「70年以上憲法改正出来ていない」と言う現実がそれを如実に示している。歴史に「if」を言っても仕方ないが、仮に第一次大戦後のドイツ人が現在の日本人の様に「与えられた戦後体制に甘んじて」いればヒトラーが台頭する事も、また第二次世界大戦が起きる事もなかったかも知れない。そういう意味では毎日新聞の例えは「不適切」でしかない。
 
また、毎日新聞
 
無数の匿名の声が時には力を持つ。天皇機関説事件では政府も新聞も当初は美濃部達吉を支持した。不敬だという中傷は、あまりにもデタラメだったからだ。しかし、デタラメでも輿論が沸騰すると歯止めが利かなくなる。〉
 
と言うが、歴史に対する姿勢を見れば明らかな様に
 
デタラメでも輿論が沸騰すると歯止めが利かなくなる。〉
 
と言う言葉は日本の嫌韓論者ではなく、韓国へ向けられるべき言葉だ。例えば旭日旗。元々はサッカーの日韓戦でゴールを決めた韓国選手が自身の行った「人種差別パフォーマンス」の言い訳がきっかけだった。しかもその時、会場に旭日旗が「なかった」にも関わらずだ。それが今やどうなっているか?その意味が判らないなら毎日新聞はメディアとして「まだまだ」である、と言う事だ。
 
ことが起きてから「そんなつもりではなかった」という言い訳は通用しない。〉
 
と、記事は締め括っているが、そういう言い訳をメディアもこれまでどれだけ繰り返してきたのか?こんな事ばかりだからこの記事も「論者ずらし」「ブーメラン」でしかないのである。