格や肩書で物事は決まらない

※無意味な事を。
 
全国の首長及び首長経験者らが「全国首長九条の会」とやらを結成し、憲法九条の改正阻止を目指すと言う。
 
こんな無知蒙昧な連中が現職首長だったり首長経験者だと言う時点でゾッとする。言動のレベルは市民団体並みではないか。意見を言うのは「言論の自由」の範疇ではあるが、そもそも「安全保障」とは「国家の専権事項」であって自治体に関与する権限はない。それが理解出来ない時点で幾ら「首長」「元首長」と言う肩書きがあったところで「てんで話にならない」事は明白だ。
 
それだけの経験がある、と言うなら現行の憲法九条を前提にどう日本の安全保障を担保するのか?その具体策が例え一本化出来ず、複数案の羅列でも出来ていれば兎も角、「改憲反対の署名運動強化」とか「普天間基地辺野古移設反対」、「自衛官募集の自治体への強制反対」など具体性に欠ける。単に「反安倍」集団の中で特定の相応の肩書のある「箔の付いた」集団でしかない。格や肩書で物事が決まるとは限らないが、そういう物で国民を納得させよう、と言う狙いもあるのではないかと思える。そうだとしたら「浅はか」でしかないが。
 
とは言え、こういう連中でも「首長」の経験があるのだからその時、連中が「民意」を得てその座に就いた事は間違いない。だが、自分達支持する声だけが「民意」ではない。実際各社の世論調査でも「憲法改正議論」を望む国民の声が多数となっている。憲法九条改正に反対なら反対で結構。だが、その反対論で憲法九条改正賛成者を納得させられるだけのロジックがあれば良いだけの事だが、こういう連中の口からそんなロジックは聞いた試しはない。また、「揉め事は話し合いで解決」と言う割には憲法改正議論と言う「話し合い」には決して応じようとはしない。その時点で多大なる矛盾を孕んでいるのである。やはり「言動は市民団体並み」でしかない。支持は「格や肩書」で得られるものではない事をまずは自覚すべきである。