緊急事態宣言発令

※とうとう緊急事態宣言が発令された。
 
安倍首相が「緊急事態宣言」を発令した。対象となるのは東京、千葉、神奈川、埼玉、大阪、兵庫、福岡の7都府県で、期間は5月6日までの1ヶ月である。
 
尤も緊急事態宣言が発令されたからと言って「外出自粛要請」は強制力がある訳ではなく、違反したからと言って罰則がある訳でもない。本来なら他国の様に個人の自由に一定の制限を加えてでも「ウイルス感染拡大防止策」は徹底されるべきだし、こういう時には一時的に政府や自治体、要するに行政に権限を集中させて「社会秩序の維持」を図るべきだが、ウイルスの脅威を目の当たりにして尚、
 
「私権が制限される」
「権力の集中は全体主義に繋がる」
 
とか言う愚劣な主張をする阿呆共のせいでこの程度の対応しか出来ない、世界的に見れば「例のない激ヌル対応」となってしまった。
 
その意味を理解していないにも関わらず、SNS等での発信力が高い人物が見当違い事を言うと却って社会に混乱をもたらす。
 

 
一見差し障りない様な事を言っている様にも思えるが、
 
医療崩壊等が起きた場合の緊急立法」
 
と言っている時点で事態の深刻さについての認識に疑問が湧く。そもそも緊急事態宣言の法的根拠となる「改正インフルエンザ等対策特別措置法」は新型コロナウイルスの脅威を目の当たりにしてから発案、審議されたものだった。仮に今、世界の何処かでまたもや新種のウイルスが発生し、そのウイルスが日本に上陸、更に「人から人への感染」が確認されたり、「感染の結果死に至る事もある」事が明らかになれば「改正インフルエンザ等対策特別措置法」の適用対象になるかどうかから議論が始まる。適用可能なら兎も角、新たな法改正や制定が必要であれば当然それを国会で行う事になるが、如何にスピード成立を図ってもウイルスの拡散速度を上回れる可能性は低い。仮に即日可決、成立と言う離れ業を披露出来たとしても「審議不十分」「議会運営が強引」「強行採決」等と批判する連中は絶対に出てくる。国賊野党やマスゴミの行う「政権批判」とはこの程度のレベルの代物でしかないのである。
 
今回の安倍政権の対応も、それに対する東国原英夫の提案も「事後立法」と言う点では変わらない。そうなってしまう原因は明らかである。
 
日本国憲法には緊急事態条項がない」
 
事がその最大の要因なのだ。これ故に対応はどうしても「事が起きてから」となり、否応なく初動対応が遅れる。安倍首相が憲法改正案に盛り込もうとしている事は正にその克服なのだが、実際にこの様な事態を目の当たりにして尚、それが理解出来ないと言うのでは「そういう人物に政治を任せるには無理がある」としか思えない。勿論事態の深刻さを目の当たりにしても総理大臣に「法律と同等の効力がある即効性のある行政措置」を行う権限はない。事態は一刻の猶予もない事は明白だが、それでも総理大臣には「法律に基づいた対応」しか出来ないのである。
 
勿論国会であれ、行政であれ、現在出来る事、必要な事は即座に行わなくてはならないし、勿論様々なレベルでそれは現在進行形行われている。その努力には素直に敬意と感謝の念を捧げるばかりだが、今回の一件で「想定外の事態に対する備え」に対する制度の必要性がある事、そして現行法ではその制度が存在しない事が明らかになった。目の前のウイルス対策が最重要な事は論を待たないが、そういう事まで見据えて意見を述べて貰いたいものである。
 
※この映画は多くの政治家も見ていた筈だが?
 
結構前の映画にはなるが「シン・ゴジラ」はその様な事態をテーマにした映画だった。この映画でのゴジラは「想定外の事態」そのものでその脅威を目の当たりにして尚、法的根拠がどうこうだとかで政治や行政が右往左往する様が描かれた。公開当時、そのリアリティが話題にもなったが、この映画、多くの政治家も見ていた筈だ。中でも小池百合子枝野幸男に至っては製作にも関わっており、最後のスタッフロールにキチンとその名前が記されている。政治家はこの映画から何も学んではいなかったのだろうか?
 
そういう「政治家が出したツケ」は最後には一般国民の負担となっている。避けようのない要素ならともかく、ある程度は自分で防ぐ事も出来る。そういう事は人に言われずとも大人であれば自ずと行って然るべきだ。求められている事とはそういう事なのである。