日本学術会議を見直す理由

※やっぱり日本学術会議はおかしい。
 
最近話題の中心となっていると言える日本学術会議、「元会長」が安倍前首相に罵詈雑言を浴びせていた事が指摘されている。やはりこの組織はロクなものではなかったとしか言い様はない。
 
 
「ウソつき、バカ」
 
呼ばわりする罵詈雑言を発言していた事がこの記事で指摘されている。しかもコイツは自民党政権に一貫して反対し、共産党と共同歩調をとる活発な左翼政治活動家と言う側面を持ち、そういう場合必ず「日本学術会議元会長」と言う肩書を使用していたと言う。
 
※それが現実だった。
 
個人の思想心情は自由であり、時の首相の政策に反対するのも、そういう趣旨の集会を開くのも自由だが、相手も同時に人間である。公共の場で言って良い事と悪い事の区別も付かない様な人間が会長になってしまう組織が日本学術会議なのだと言う裏返しでもある。そしてそんな組織に年間10億円もの我々国民の払った血税が投入されている訳だ。税金の無駄遣いの見直し、有効活用と言った大義名分の前では日本学術会議はその対象になって当然だと言う証明でしかない。
 
また、幾ら国会での議席数で与党が圧倒的多数を占めていてもマスゴミやこういった組織は国賊野党に牛耳られているのが現状だと言う事が明らかになった。学者が政治活動をするな、とは言わないがこういう所も正しておかなければ日本は「普通の国」にはなれない。菅首相はそれを認識してそういう所に手を付け出したのではないだろうか?で、あれば国民として反対すべき理由など一つもない。
 
※そもそも研究内容云々ではなく人間性が問題だったのでは?
 
今回任命拒否された人物は上記の様なコメントを出した。コイツと言い、今回の広瀬清吾と言い、やはり「人間性に問題がある」としか言い様がない発言が明らかになっている。幾ら学者としての実績があっても人間性がダメなら採用されない、と言うのは一般人の就職活動でも同様ではないか?それを「採用しなかった方が悪い」と言うのは「負け犬の遠吠え」でしかないし、今回任命拒否された連中はその「学者としての実績」も同業者から注目される様なものではなかった。実際の理由はさておき、それら明らかになっている部分だけ見ても一々首相が説明せずとも納得の行く説明にはなっている。それが判らない、と言うのは
 
「自分達が愚物に過ぎない」
 
と宣伝しているに等しい。言われずとも自ら結果を受け入れ、その理由を察して改善していく事も一流の人間には必要な事なのだろうが、それが出来ない、と公言している時点で「自分が人間として三流」と言っているのと同じでしかない。日本学術会議はそういう連中の集団でしかない、と言うなら組織の在り方からして見直しの対象になるのは当然だ。組織としての目的が如何に崇高であってもそれを動かすのは人間である。その人間がこの様なレベルでは組織としては堕落し、たかが知れた存在にしかならない。民間組織なら兎も角、我々国民の払った血税が投入されている組織なのだからそれを正す事は国民として当然の権利であり、同時に義務でもある。菅首相がコイツ等に大鉈喰らわせる事を期待したい。