被害者の権利VS加害者の人権

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まんだらけ」での万引き犯の画像公開を巡る騒動、土壇場でまんだらけ側が公開を中止した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140813-00001907-bengocom-soci

事件の経緯はこうだ。

8月4日午後5時ごろ。まんだらけ中野店4階の店舗「変や」で、25万円で売られていた「鉄人28号」の人形が盗まれたという。

同社は8月5日、ホームページに「鉄人28号ゼンマイ歩行を盗んだ犯人へ」と題したメッセージを掲載。「1週間(8月12日)以内に返しに来ない場合は顔写真のモザイクを外して公開します」という警告文とともに、顔の部分にモザイクをかけた人物の写真を公開していた。

この対応をめぐっては、「脅迫罪が成立する可能性がある」とか「公開した場合、名誉毀損などにあたる可能性がある」などと法的課題が指摘されていた。しかし同社は「法的リスクがあることは承知のうえで公開する」(広報担当者)と強気の姿勢を見せていたのだが…

犯人の顔写真公開の代わりに以下の文章が掲載された。以下引用。

《●警視庁の要請により顔写真の全面公開は中止させて頂きます

今回は予想外に多くの方たちの応援メールやお電話を頂き感謝しております。

それだけ多くの一般市民の皆様が法制度や司法・警察の現状にやりきれない思いをお持ちだということも事実として多々あるのだと思います。

しかしまんだらけの基本的な方針としては、あくまでも法令遵守を基本とした上で警察の捜査に協力する立場をとらせて頂くことと、 窃盗した商品を本人の良心にもとづきあくまでも自主的に返還してほしかったことを願っておりましたが、 期日である12日 (火) の夜になりますと、報道陣の方々が店舗のあるビルの入り口付近や店舗周りに集まって来られていて、とても犯人が入って来られる状況にはなかったということがありました。

実はその直前に犯人の身内 (女性です) と思わしき方より「8時 (20時) までに返せばいいのだろうか」という内容の電話があり、 期待して待っていたのですが、どうも無理なようでした。

今後は証拠も十分あるので、警察の方々のお力を信じてお任せしてまいります。

重ねて今回応援して下さった多くの方々にお礼を申し上げます。

本当に有難うございました。》


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騒ぎが騒ぎを呼び、ネットやマスコミも注目するに至ったこの一件、確かに報道陣が大勢いる中を堂々返しに行くのは難しいだろう。恐らく公表していないだけで犯人は既に特定されて話は付いているのだろう。だから公開する理由がなくなったのではないだろうか?

だが万引き犯が盗んだ品物を何らかの手段で返して一件落着とはいくまい。問題は「加害者の権利はどこまで守られるべきか」という課題を我々に突き付けた事である。

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情状酌量とは似て非なるものだ。

犯罪者、加害者と言えども人間である以上人権の保護と言うものは存在する。罪と罰は予め法律で規定し、それを実行出来るのは公権力だけである。また遡及して罪は問わない、刑罰に関しては拡大解釈は許されないなどの法体系は権力の濫用を防ぎ、加害者と言えどもその人権を守る為である。

だが法を犯した者に罰を与えると言う自体が何らかの権利を停止したり制限したりすると言うのが刑の本質ではないか。刑の目的と言う観点からは「違法行為に対する制裁」と言う見方と「違法行為に対する教育」と言う見方がある。いずれにしても受刑者は何らかの権利を停止・制限される事には変わりない。

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※公権力以外が行う刑罰は私刑と言う。公権力の暴走も問題だが、私刑も同様。線引きは容易でない。

だが、犯罪者・加害者の権利は刑以外では最大限尊重されるべきなのか、それとも最小限に留めるべきなのか?今回のまんだらけの事件はその様な問い掛けを残した印象がある。

最近は不思議に思うのだが、被害者の権利より加害者の権利を重視する弁護士や意見が増えている様に感じる。犯罪や不法行為は他者の権利侵害だ。優先するべきは被害者の権利回復ではないのか。そこをはき違えているのではないか?まんだらけの事件がそういう風潮に一石を投じる形になって本来守るべき権利を見直すきっかけになるならその点では意味があったのではあるまいか?