飯塚幸三クンへの「禁錮5年の実刑判決」は妥当だったのか?

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※飯塚クンの主張は完全否定。

飯塚幸三クンの起こした池袋暴走事故、日本中が注目したその判決は「禁錮5年」であった。

奴が「有罪か無罪か」で言えば「有罪」である事に異を唱える人は本人以外まず居るまい。問題は「量刑の重さ」である。奴の罪状である「過失運転致死傷」は最大で禁錮7年と、求刑は法の上限だった。が、判決はそれより軽い「禁錮5年」。事故の重大性やその後の奴の言動を踏まえて考えると「軽過ぎる」と言う声が出るのは当然で、素人だけでなく、テレビ番組でそう発言していた弁護士もいた。

「飯塚幸三クンへの判決は妥当だったのか?」

少し考えてみたい。

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https://news.yahoo.co.jp/articles/0a7d27febdbb206480e944015488113ed7dbfe47

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※それでも情状酌量の余地が?

判決では事故原因を

「飯塚クンのブレーキとアクセルの踏み間違い」

と認定し、事故後の本人の言動についても

「反省の色なし」

と断罪。これでは2年もの刑期短縮の意味が判らない。

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※それを情状酌量と言うか?

一方で判決は飯塚クンに有利な事情として

・高齢である事
・十分な社会的制裁を受けている

と、言った点を挙げていたが、これには些か疑問が残る。

「高齢者だった」と言うだけで情状酌量を認めて減刑が罷り通るなら同様の事故を起こし、同様の態度を取ったのが90歳の爺ではなく、例えば30代の若者だったら禁錮7年になるのか?そもそも人を裁くのにその年齢だけで刑の軽重が変わるならそれこそ「法の下の平等」に反するのではないか?裁判所がそれを犯してどうする?

また、「十分に社会的制裁を受けた」と言うが、例えば会社員だったら懲戒解雇される、と言う様な事情があればそう言う主張も判らなくもないが、飯塚クンにはそういう何があった?

判決はその「社会的制裁」を「世間からの激しいバッシング」などとしていたが、飯塚クンの

「あくまで自分の非を認めず車のせいにする」

態度には批判が集中して当然である。しかも公判中に飯塚クンの主張を完全否定する要素はゴマンと出てきた。それでも奴は自分の主張に無駄に固執していたのだから、それが世間の反発を招いて批判一色になったのは自業自得でしかない。

一応「唯一フォロー出来る可能性」として事故後に逮捕されなかった事が「上級国民」だからと言う誤解が広がった事だが、これも本人がどうこう以前に警察やマスコミ、タレント弁護士等の国民への情報発信が足りなかったからではないのか?確かに奴が逮捕されなかった理由を明確に述べ、発信していた法曹資格取得者はたくさんいたが、結果として世間の誤解を解くには至らなかった。それは本人の問題だけとは言い難いだけにそこに「情状酌量の余地」を認める主張は判らなくもないが、だからと言って2年の減刑の理由としては弱い。

事故には関係ない家族への中傷や自宅前での街宣など、「やり過ぎ」と言われても仕方ない行為があったのは確かだ。奴の言動を見る限り、それに対して怒りを覚えるのは人間としては当然ではあるが、やった事は「私刑」に等しいと裁判所には判断されなかった、と言う事か。だが、裁判所がそれを理由に飯塚クンの減刑を認めたなら

「裁判所が私刑を認めた」

に等しい。法治国家である以上、私刑はしてはならないし、最初からそんな権利など誰にもないのだが、それで良いのか裁判所?それともこうする事で「過激な抗議活動」へのしっぺ返しにしたのだろうか?だとしたら我々も考える必要性はあるのだが。

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※飯塚クン、出来る?

裁判長は説諭で上記の様に述べた。飯塚クンにそれが出来るかどうかが問題だが、裁判官だって人間なのだから奴の言動を見て個人的に思う所はあったに違いない。だからこの様な説諭を敢えてしたのだろう。それが出来るかどうか?飯塚クンの人間としての矜持と良心が問われているのだ。幾ら飯塚クンが過去の己の栄光を守ろうとしても無駄である。判決を前提にすれば控訴した所で「再審無罪」を勝ち取るより厳しいレベルの新証拠が必須だし、どの道有罪確定→収監となれば勲章も没収になる。時間稼ぎは不可能ではないが、自分はそれで良くてもやるだけ家族が世間で肩身の狭い思いをする羽目になる。それで良いのか飯塚クン?

刑事裁判では実際の量刑が求刑の7~8割になるのが相場、と言われ、飯塚クンの件もその範疇だが、単に相場に合わせたと言うより

・厳罰を求める国民感情
・行き過ぎた抗議活動への戒め
・飯塚クン本人の反省を促し、意味ある刑罰

のバランスを取った結果ではないのだろうか?だとしたら「三方一両損」ではないが、中々の考え抜かれた判決、と言う解釈も不可能ではない。実際はどうだろうか?納得する人しない人は居るだろうが、こういう考えも一つの解釈なのではないかと思う。