先進国気取りで身の程知らず、他国どころか地球に有害な韓国製石炭火力発電所

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※フィリピン・セブ島の場所。

《韓国メディア・オーマイニュースは17日、フィリピン・セブ島韓国電力公社(韓電)が現地電力会社と合弁で建設した石炭火力発電所のために、地元住民の生命が危険にさらされていると報じた。

記事によると、韓電は環境汚染や健康被害を懸念した地元民や環境団体の反対を押し切り、セブ島中央部に20万キロワット規模の石炭火力発電所を建設、2011年から稼働させている。

韓電は、「クリーン石炭技術」を導入して汚染物質の排出を低減し、「1億ドルの輸出相乗効果を創出した」と広報している。だが、フィリピンの環境団体からは、韓電の言う「クリーン石炭技術」は、既存の発電所に比べて石炭灰を4倍も発生させると非難している。発電所では毎日250トンもの石炭灰が発生しているが、しっかりした処理施設もないために近隣に投げ捨てられ、周辺住宅には黒い埃が入り込んだ。地元民の被害の訴えに、裁判所は2011年に「住民の健康に被害を及ぼす可能性がある」として、石炭灰を発電所敷地内で処理するよう命じた。

だが、発電所周辺には石炭灰が今も放置されたまま。この石炭灰には有害物質の水銀やヒ素カドミウムなどが多く検出されている。セブ島では、呼吸器疾患やガンの発生率や死亡率が全国平均を上回っているという。

国際社会では現在、環境汚染や地球温暖化の問題から石炭火力発電所の輸出を抑制しようという動きが出ている。経済協力開発機構OECD)は石炭発電所の輸出信用支援廃止を検討中だ。

だが、韓国政府は「発展途上国は安価で豊富な石炭に依存するしかない」と主張。むしろ石炭発電所の輸出を促進する方針。韓電は昨年、セブ島のもう一つの老朽発電所を買収し、新たに30万キロワット級の石炭火力発電所を建設すると発表した。さらに、セブ島以外でも石炭火力発電所の建設を進める意向を示している。

フィリピンの市民運動家は「我々は、フィリピンの地域社会に害を与える石炭火力発電所の建設に投資しないよう、環境を愛するすべての韓国国民と政府関連機関に訴えている。韓国国民の税金は、フィリピン人の生活を破壊するために使われるべきではない」と呼びかけている。》

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150419-00000021-xinhua-cn

…当たり前の話で恐縮だが火力発電の場合、「燃やす燃料」がなければならない。多くの場合は石油や天然ガスであるが、石炭を使用する「石炭火力発電」と言う方式もある。…と、言うか日本以外に目を向ければ意外にも石炭火力発電というのは現在でも大きなウェイトを占めているのが実情である。

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※世界での石炭火力発電の現状。

言うまでもないが石炭が燃焼するとSOx硫黄酸化物)やNOx(窒素酸化物)が排出される。当然それらは環境汚染の原因にしかならない。勿論環境対策と言う事でこれらCO2やSOx、NOxなどの排出を抑える技術の研究は行われ、既に実用化されているものもある。

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※石炭火力発電の方式、効率、環境対策、日本は全て世界の最先端。

それによってCO2やSOx、NOx等の排出量は従来の「単純に石炭を燃やす」方式に比べればかなり抑えられていると言えるが、それはあくまで日本の優れた技術を前提にした話であって、フィリピンには申し訳ないが韓国などに石炭火力発電所を作らせるとこうなる事は予想するべきだったであろう。また石炭を燃やせば嫌でも「石炭灰」が発生する。日本ではそれをコンクリートに混ぜて建築資材に活用する等のリサイクルをしている。記事の通りなら韓国は恐らく発電所の施設だけは作っても石炭灰の処理の事は一切考えて無かったのだろう。如何にも韓国らしいいい加減さだが、初めからフィリピンも日本に相談していれば日本はそういった事まで考えてもっとまともな発電所を作っていた筈である。性能も環境への優しさも韓国製とは比べ物にならない程の。

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四国電力のHPから。石炭灰のリサイクルはほぼ全量。

セブ島は観光地でもあるそうだから、韓国に頼るとロクな事にならない、という授業料にしてはこの環境破壊の代償は大き過ぎるであろう。「安物買いの銭失い」どころの話ではない。勿論最大の問題はこれら火力発電に付いて回る問題を一切考えずに欠陥発電所を作った韓国にあるのは言うまでもない。それでロクな技術も環境対策もないのに更なる石炭火力発電所の輸出をすると言うのだからこれは地球規模での有害行為でしかない。「クリーン石炭技術」が聞いて呆れる話である。韓国も韓国で先進国気取りで身の程知らずは止めるべきだ。どこまで行っても所詮は後進国でしかないのだから、この様に却って他国に迷惑をかける事を認識しなくてはなるまい。