何故か国会開会式に出席した共産党。狙いは選挙の票だろうが。
※何故か国会開会式に出席した共産党。
通常国会が召集された。1月4日と言う召集日も異例だが、今回はもう一つの「異例」があった。
これまで国会の開会式を欠席し続けてきた共産党が開会式に出席したのだ。
http://goo.gl/YlZcSu
現憲法下では最初の第1回国会に所属議員が出席した例はあったそうだが、党としての参加は今回が初めてである。天皇陛下の御入場の際には起立するなど、共産党らしからぬ姿勢を見せていた様だ。
※陛下は国家国民の象徴なのだからこの立ち位置は当然である。
※どうせ狙いは選挙の票。
共産党が国会の開会式を欠席し続けていた理由は志位和夫によれば
「第1に、開会式の形式が主権在民の原則に立ち、議会は立法権を握る天皇の協賛機関に過ぎなかった戦前の大日本帝国憲法下の開院式の形式をそのまま踏襲するものになっているということが第一点だ。第2に、以前の開会式では、天皇のお言葉の中に米国政府や自民党政府の内外政策を賛美、あるいは肯定するなど、国政に関する政治的発言が含まれていた。これは憲法が定めている『天皇は国政に関する権能を有しない』との日本国憲法に明らかに違反するものだった。そういう下で、わが党は一貫して国会開会式や現行憲法の主権在民の原則と精神にふさわしいものとなるように抜本的改革を求めてきた」
との事だが…
先ず最初に言いたいのは
「天皇陛下を呼び捨てにするな」
と言う事だ。これは朝日新聞よりも酷いと言えるだろう。
※そう思っているのは共産党だけ。
※憲法1条。先ずはここから遵守をしよう。
天皇陛下は日本の象徴である。憲法1条にそう規定されている。その国家の象徴でいらっしゃる天皇陛下を呼び捨てにしている時点で憲法の趣旨を理解していないか、理解して遵守する気がないのか、のいずれかであろう。共産党は建前は「護憲」を唱えているが実体はかくの如し、である。早くも尻尾が出てしまっている。こんなのが叫ぶ「護憲」にいったい何の意味があるのか?「護憲」を唱えるのは結構だが、その前に先ずは自分達が憲法1条の規定を理解・遵守して日本国の象徴を象徴として尊重出来る様になってから言うべきではないのか?自分達が遵守できない憲法の遵守を他者に要求するものではない。
※理解するまで30年…時間かかりすぎ。
また、志位和夫は
「その後、開会式での天皇の発言に変化が見られ、この三十数年来は儀礼的、形式的なものとなっている。天皇の発言の内容には、憲法からの逸脱はみられなくなり、儀礼的、形式的な発言が慣例として定着したと判断できる。一方で、開会式の形式が戦前をそのまま踏襲するものとなっているという問題点は現在においても変わりがないことも指摘しなければならない。こういう状況を踏まえての今度の対応だ」
とも言うが、今年は平成28年である。つまり共産党が問題視したのは昭和天皇陛下のそれである。今上陛下に関してもそう理解するまでそれだけの年月がかかっていると言う事か。その程度の理解力で共産党風情にどれだけの政治能力があると言うのだろうか?
また国会の開会式が戦前と同様の形式だと言う点を問題視しているが、形式は同じでも明治憲法と現憲法では国会の重みは全く違う。共産党には「似て非なるもの」と言うのは判らないのだろう。同時にそういう公の場での陛下の御言葉には全て内閣の助言と承認を要するのは言うまでもないが、それ故天皇陛下の発言に責任を持つべきなのは内閣である。何故共産党は内閣に物言わぬのか?
共産党が出席したのは参議院選挙を見据えた票狙いなのは明白である。票の為なら自身の魂も売るらしい。
※憲法7条の規定。
そもそも国会の召集は天皇陛下の国事行為であると憲法7条に明記してある。憲法の規定では国家の象徴である天皇陛下が主権者である国民の代表かつ国権の最高機関の構成員を召集する形になるのだが、それを主権在民の観点から問題視するのであれば是非ともそういう憲法の規定を改正せよと声を大にして貰いたい。
…結局何を言っても共産党の主張は「巧言令色」「詭弁」「ダブルスタンダード」の域を出ないのである。こんなのに騙されている様ではそういう人の先も思いやられる。共産主義の分際で「民主的」等と間違っても口にするべきではない。そういう主張の前に先ずは自分達の代表を公正な選挙で選べるようにしてから物を言え。共産党こそ存在からして最も「民主的」から縁がないのであるが、一番それを理解していないのは当の本人達である。
※本音はこれだろうが。