敬意を表すべきオバマ広島訪問実現。

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※その決断には敬意を表したい。

オバマ大統領の広島訪問が実現した。安倍首相と共に原爆資料館を見学し、平和記念公園で献花し、声明を発表した。
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http://www.sankei.com/politics/news/160527/plt1605270063-n1.html

オバマ大統領の声明からは直接には謝罪、と受け取れる言葉はなかった。しかし、我々日本人はどっかの三流国家とは違う。謝罪云々よりも未来に向かって、再び核兵器が使用される事のない世界にする事がより重要である、と言う事だ。実際共同通信の調査によれば被爆者の78%が「謝罪を求めない」と回答している。
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※不幸な歴史を乗り越えた瞬間。

日本原水爆被害者団体協議会代表委員の坪井直氏がオバマ大統領と抱擁し、握手するシーンは実に印象深いものであった。坪井氏はオバマ大統領に

「米国を責めていないし、憎んでもいないと伝えた」

と話したとの事だ。…心からの敬意を表したい。
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※時間はかかったが、日米の「歴史のトゲ」が消えた。某国には真似できまい。

「(前略)だからこそわれわれはこの地に来た。この街の中心に立ち、爆弾が投下されたときの瞬間について考えることを自らに強いる。(後略)」

オバマ大統領は声明でこう述べた。原爆資料館を見学し、自国がかつて正義と信じて行った事が一体どんな結果をもたらしたのか?アメリカ大統領として口に出来ずともバラク・オバマ個人として感じた事はあった筈だ。

「高邁な理由で暴力を正当化することはどれほど安易なことか。」

オバマ大統領の言葉はアメリカの原爆投下を正当化する認識にも一石を投じられるだろうか?
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原爆資料館でのオバマ大統領の記帳
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※こちらは安倍首相。

「われわれはこれらの話をヒバクシャ(被爆者)の中に見ることができる。ある女性は、原爆を投下した飛行機の操縦士を許した。本当に憎むべきは戦争そのものであることに気付いたからだ。ある男性は、ここで死亡した米国人の家族を探し出した。その家族の失ったものは、自分自身が失ったものと同じであることに気付いたからだ。」

オバマ大統領が引き合いに出した被爆者の方々はそれでも「日本人の心」を失わなかったのだろう。これらの話がオバマ大統領の心にどう響いただろうか?そういう「日本人の心」は原爆でも破壊できないのである。我々もそれを守る責務があるとは言えまいか?


オバマ大統領は就任直後の「プラハ演説」で

核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として、米国には行動する道義的な責任がある」

核兵器のない平和で安全な世界を目指す」

と表明した。具体的な成果は乏しいと言わざるを得ないのだろうが、それでもアメリカ大統領として広島を訪れる決断をし、実行した事は大いに評価するべきであろう。

「米国には行動する道義的な責任がある」

を果たした形にはなった。そしてその決断を引き出した安倍首相も同様に評価するべきであろう。

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蓮舫でさえ評価するほどだ。

オバマ大統領は一方で

「われわれは人類が悪事を働く能力を除去することはできないかもしれないし、われわれが同盟を組んでいる国々は自らを守る手段を持たなければならない。」

とも述べている。日本も何時までも「米国の核の傘」での安全に甘えていてはならないのである。平和は誰かや何かがもたらしてくれるのではなく、自分達で守らなければならないものである、と言う意味でもある。その通りであると言えるだろう。オバマ大統領が日本に「憲法9条を改正して自衛軍を持て」と促した、と捉えるのは流石に深読みが過ぎるが、要点は変わらない。少なくともオバマ大統領の広島での声明は当事国である日本にとっても「自国の平和と安全」について考えるきっかけになる、とも言えるだろう。オバマ大統領の決断にも敬意を表したい。

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オバマ広島訪問を汚すあさましい集団

オバマ大統領の声明
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※安倍首相の所感
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