野党再編の愚
と言う方針を決定した。どういう形で合流するかはさておき、実現すれば
と言う新たな政党が誕生し、野党は
と言う3系統になる事が予想される。
野党再編の一つの目的に
「政権交代可能な政党の結成」
と言うのがあるのだろうが、それを目指して失敗したのが民主党→民進党であり、現在の立憲民主党と国民民主党だ。その紆余曲折を知っていれば「野党再編」と言う言葉が如何に心地よく聞こえても所詮は「民主党の復活」でしかない。そもそも分裂したのは「考え方の違い」からだったが、それをどう埋めてどの様な政策を打ち出せると言うのか?また、面子が大して変わらない所属議員はどちらの政党に所属していようが「分裂→再結集」と言う経緯の中で政治家としてどの様に成長したのか?それを国民に明確に出来なければそもそも「合流の大義」さえない。政党として活動する以上、政党交付金と言う「税金が原資」のカネを使うのだから、それ位の責任は果たして貰わないと税金払っている国民としては割に合わないし、「税金の私物化」と言う批判は避けられなくなる。既にこの時点で「お約束のブーメラン」突き刺さるのだが、その意味を理解しての事なのだろうか?
如何に野党に好意的な見方をした所でそれら「民主党の復活」に社民党が加わった所で「新党に好影響を与える」とは到底思えない。現状でさえ「政党要件」ギリギリの有象無象でしかない上に、比較的考えの近い立憲民主党に呑み込まれれば間違いなく存在感は完全に消失する。それどころか合流した所で「野党内野党」が関の山で、「足を引っ張るだけ」の存在にしかならない公算が高い。そこまでして新党に参加する意味や価値があるのだろうか?
「与党の下げ幅<野党の下げ幅」
と言う「笑えない結果」となっている。
国民は野党の形態がどうであれ、「疑惑追及国会」や「下品なパフォーマンス」に嫌気が刺しているのだ。看板が何であれ、そこから脱却しない限り「同じこと」でしかない。野党再編が「無意味」な理由だ。そもそも「野党共闘」を掲げて与党を脅かすだけの結果が出ているのか?その答えは既に明白だ。その時点で「学習能力が欠けている」事も明白。やはり「話にならない」のである。