野党再編に意味はない

※「野合」に意味はないのだが。
 
通常国会が始まっているが、その前に焦点であったと言える「立憲民主と国民民主の合流」は敢えなく頓挫してしまった。立憲民主が国民民主を「吸収する」形に拘ったのと、それに対する国民民主の一部からの反発があったのが理由だと言えるだろう。
 
尤も幾らこの2つの政党が如何なる理念を掲げて合流しようが出来上がるのは
 
「悪夢の民主党政権の再来」
 
以外の何物でもなく、国民民主には既に小沢一郎一派が合流しているのだから尚更である。いやいや、それ以前の問題として、そもそもこの2つの政党は「民主党民進党」として元々同じ釜の飯を喰っていた訳だが、事此処に至って「数度の話し合いで合流出来る」と言うなら旧民進党が分裂騒動を起こしていた時に「話し合いで解決出来た」筈ではないのか?全く以て意味不明な言動である。
 
そんな不可解な国賊野党、特に旧民進党系列の政党の連中は「何をしたいのか?」その理由に鋭く迫った指摘をしていのが以下の記事だと言えるであろう。
 
 
国賊野党は特にその傾向が強い。
 
そもそも国会での代表質問を見ると各政党何をしたいのかは容易に推測出来る。玉木雄一郎
 
と、支那の問題行動を取り上げ、習近平国賓招待に異を唱えた。こういう姿勢は公平に見ても評価出来るが一方の立憲民主は?と言うと
 
※こんなレベルで党首だなんて。
 
未だに日本が石油輸入の殆どを中東依存しており、この地域の安全確保が日本の国益に繋がる、と言う基本的な事さえ理解していない。それでいて「バカの一つ覚え」の桜、モリカケ、等と本来国会で議論すべき「国論」からすれば些事に過ぎない事ばかり国会で取り上げる。党首からしてこのレベルなのだからこの連中、「政治家として何がしたいのか?」から疑わなくてはならない。だが、その答えは簡単である。「議員であり続ける為」である事は想像に難くない。
 
そもそも民主党自体が「反自民」と言う一点共闘の「選挙互助会」でしかなかった。だから自民党に近い考えから共産党に近い考えまで幅広い考えの人物が混在出来た。母体となる組織が大きければそれだけ「カネ」の面でも楽になるし、組織が大きければそれだけ選挙を有利に戦える。「野党再編」とは聞こえが良くてもその実態は「現役野党議員を如何に再選させるか?」が最大の課題であり、だからこそ国家国民の大事はそっちのけで「政権追及ネタ」ばかり優先し、メディアを利用したパフォーマンスに走るのだ。
 
 
※立憲民主は国論に興味は無いようだ。
 
だが、連中は大事な事を見落としている。確かにその手のパフォーマンス一度は効を奏して民主党政権の誕生に一役買った。だが、政権を盗った途端にその実力否応なく国民の知る所となり、「政権を担う器でない」事を自ら証明してしまった。その評価は完全に手お着している、と言えるが、その評価を覆すだけの何をこの連中はしたのだろうか?何一つとして「していない」が、それにも関わらず「同じ手口」を繰り返しているだけなのだ。「既にタネが割れた手品に二度驚く事はない」のだが、その意味をまるで理解していない。正に「バカの一つ覚え」である。
 
こんな連中が何をしようが「税金と時間と労力の無駄」でしかない。要するに「政治家である意味」さえないのである。こんな連中の上辺だけのパフォーマンス惑わされてはならない。