ここがヘンだよ共産党

※確かに表現は過激だが…
 
2月2日投開票の京都市長選挙、現職に与党、立憲、国民、社民が支援し、共産とれいわ新選組が推す候補に元市議の候補が立候補する構図になっている。国会での構図とは異なる構図での選挙戦だが、地方選挙ではこの様に野党の足並みが揃わず、一部が与党系候補を推す事も珍しい事ではない。地方にはその地方なりの事情、と言うものがあるのだ。
 
そんな選挙戦の最中、現職陣営が京都新聞に出した広告が物議を醸している。
 
「大切な京都に共産党の市長は『NO』」
 
と言う見出しを掲げているのだ。この広告に共産党激しく反発している事は言うまでもないが、共産党にそんな批判をする資格など「最初からない」と言える。
 
産経の記事は小池晃の会見についてのものだが、志位和夫Twitter
 
 
この様に批判している。確かに日本の感覚で言えば「過激な表現」だと言えるが、アメリカ辺りでは特段珍しいものではない。…等と単純に比較しても納得しない人もいるだろうから、少しだけぶっちゃけてみる。
 
共産党に批判する資格はない。
 
小池晃は会見でこの広告について
 
「言語道断だ。まったく中身のない、古色蒼然たる一方的なレッテル貼り、本当に卑劣な古典的な反共攻撃だ」
 
等と言っていた様だが、そもそも民主主義における選挙の結果を「民意の表れ」と言うのであれば、市長選挙に当選出来るのは1名しかいない以上、落選した候補にはその候補が与党系だろうが現職だろうが、勿論共産系候補だろうが一律に
 
「NO」
 
と言う「民意」を突き付けられた、と言う事でしかない。共産党もそれが判らない様な阿呆集団ではあるまい。何故なら自分達だって安倍政権に対しては上記の画像の様に同様の主張をしているではないか。「共産党の市長は『NO』」か「安倍政権退場」と、ベクトルの向きが正反対なだけでやっている事の本質は同じではないのか?「自分達がやるのは構わないが、他者にそれをやられることは許容しない」と言うのが共産党の姿勢の本質である。共産党は知らないのだろうが、そういうのを世間では
 
「虫の好い話」
 
と言う。
 
また、志位和夫はこの広告を「ヘイト」呼ばわりしているが、先述した様に選挙で落選した候補に示される民意は「NO」以外の何物でもない。志位和夫小池晃が何を言った所で共産党が推す候補がこの選挙で落選すれば
 
京都市長共産党の候補は『NO』」
 
と言う民意が示された、と言う揺るぎない事実が示されるだけだ。それを認める事が出来ない、と言うのであれば、そもそも
 
共産党が民主主義の制度下で行われる選挙に参加する事自体が間違っている」
 
と言う意味にしかならない。欧米の民主国家の多くで共産党は「非合法」だが、それは如何に「思想信条の自由」保障されていても
 
「民主主義を否定する自由」
 
までは許容していないからである。そしてそういう考え最たる存在が「共産主義」なのだから寧ろ民主主義国家でありながら「共産党が存在している」日本の方が異様なのである。共産党は「公安監視対象で済んでいる」だけ有り難いと思わなくてはならないだろう。
 
※何を言った所で所詮は「公安監視対象」。それが共産党
 
また共産党根本的な勘違いをしている様だが、「ヘイト」とは他者を批判する表現全般を言うものではない。問題の選挙広告は当然ながら現職陣営が当選する前提で作成されたものだ。従って落選した候補全てに「NO」と言う民意が示されるのは当然の結果であり、共産党候補だけを「不当に貶める」と言う性質の結果にはならない。今回の選挙戦は3名の候補で争われているが、選挙戦が「与党系候補VS共産系候補」と言う一騎打ちの構図でも話は同じだ。だから如何なる差別的要素もこの選挙広告は生まない。「ヘイト」呼ばわりなどお門違いも甚だしい。
 
※四の五の言う前に最低限の決まりを先ずは守ってはどうか?
 
また、共産党が「独善的」と言うのはこれまで述べてきた様な
 
「自分達がするのは自由だが、されるのは『ヘイト』」
 
と言う考えそのものもそうだが、共産党は党首を「党員の直接投票で選ばない」。だから志位和夫はどれだけ選挙に負けようがその責任を問われる事なく20年近くに渡って党首をやっているのだろう。同じ野党でも選挙に負ける度に党首の責任論が飛び交った旧民進党と偉い違いである。どうあれ志位和夫が「選挙の顔」になれていない事はどう考えても明白だが、それを指摘する声が党内から出てこない時点で党内統治が「独善的」に行われているであろう事は容易に想像出来る。
 
また、「民主主義を汚す」等と志位和夫は批判しているが、民主主義の性質上、共産党の存在そのものが最大の「民主主義を汚す」存在である。言うまでもないが「民主主義」と「共産主義」は相容れない。日本が「民主主義国家」である以上、共産党が何を言った所でその本質は永遠に付いて回るのだ。
 
だから共産党のこの選挙広告に対する批判は何一つとしてあたらない。自分達の理想ばかり主張するのではなく、少しは現実を見てはどうか?共産党に理解できるかどうかは不明だが、そういう事ばかりやっている悪例が隣の国で、それも現在進行形で進んでいる。少しはそういう現実を見て、反面教師にして貰いたいものだが、そうする器量が共産党にあるだろうか?なければ「万年野党」から脱出する事など決して出来ない。この一件で問われているのは「現職陣営の良識」ではなく、「共産党の良識」であろう。共産党はその現実を先ずは認めて自らの在り方からして見直すべきである