テレワーク出来ない国会議員

※根本的対策になっていない。
 
コロナウイルス禍を受けて国会の「オンライン審議」が取り沙汰されているが、その実現には大きな問題があると言う。その理由と言うのが「憲法」だと言うのだからこれは笑えない。
 
 
日本でも内閣官房職員の感染が確認され、その職員は発症2日前に西村コロナ担当大臣の視察に同行していた。そこで西村大臣は自宅待機となってしまったが、コロナ対策に影響が出るのは必至だ。
 
西村大臣が「感染していない」事を祈るばかりだが、万が一感染していれば内閣全体に感染の可能性が出てくる訳で、そうなってしまえば最悪の事態である。
 
行政もそうだが、国会議員に感染者が出てしまえば国会も否応なくストップする。勿論対策に必要な法律や予算も作れない。そうなれば自治体の対応に頼らざるを得なくなるが、予算や権限の関係上、対策に限界が出てくる。これで状況が更に悪化すれば目も当てられない。安倍政権を支持しようがしまいが、そういう事態だけは避けなくてはならない。
 
そこで浮上してきたのが「国会オンライン審議」、つまり国会議員の「テレワーク」である。勿論反対する理由はないどころか、上記の様な事態を回避する意味では「両手を上げて賛成」なのだが、実現性は低い。
 
理由は憲法56条に
 
「総議員の3分の1以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない」
 
と明記されているからである。
 
勿論憲法制定当時、ネットなどなかったのだから「オンライン審議」など想定されていない事は確実で、オンライン審議を「議事の開催」、議員のアクセスを「出席」と見なす解釈は無理がある。だがこれは「憲法の欠陥」とまでは言えず、寧ろ時代の変化、技術の進歩に合わせた憲法の在り方を考える事を怠ってきた国会の責任である。
 
普通に考えても政治が民間企業にテレワークを推奨しておきながら自分達はテレワークの「しようがない」のでは説得力に欠ける。こういう所に問題意識を持つ議員が出てきた事は評価出来るが、これでも「憲法改正の必要性はない」と言えるのだろうか?国賊野党、特に共産党の連中の意見を聞いてみたいものである。
 
現状で「国会オンライン審議」を行うには「超法規的措置」と言う「政治決断」しかない。不肖筆者は賛成だが、仮に安倍首相がそれを行った場合
 
「強権的」
 
とか
 
「法の規定を無視」
 
等と言う場違いな批判をする輩が必ず沸いてくる。だが今求められているのは「感染拡大防止」であり、その為に必要な事は例え法に規定がなくても
 
「法を犯すデメリット<それによってもたらされる社会的利益」
 
であるなら「超法規的措置」を発動しても致し方ないだろう。それでも反対する人は「法律を守って自分がコロナに感染しても納得出来る」のだろうか?
 
このコロナウイルス禍は憲法9条改正論者が主張してきた
 
憲法9条を墨守して戦火に死ねるのか?」
 
と言う問いかけそのものの状況だと言える。それが出来る、と言う人はどうぞ何処へでも出掛けて好きな事をやってコロナに感染してしまえば良い。それで自分以外に責任を求めるのは筋違いだ。医療従事者やスーパー、コンビニの従業員、物流関係の人々は現在、通常以上のリスクを背負って通常以上の仕事をしている。そういう人々を尻目に「やる事がない」と言ってパチンコに興ずるなどもっての他、論外な行動であり、社会への冒涜だと言える。
 
マスゴミは論じたくはないのだろうが、そもそも日本のコロナ対策はいずれも「事が起こってから対処」しているから後手後手なのである。それも全ては
 
「緊急事態条項が存在しない」
 
憲法の欠陥にある。国の法体系の根幹の憲法からしてコレなのだから誰が対処しても結果は大して変わりない。原付バイクをプロのオートレーサーが操縦しようが、素人が操縦しようが出せるスピードに限界があるのと同じであろう。
 
このコロナウイルス禍を教訓にそういう疑問が出て、議論され、実現するのが唯一の希望であるが、事此処に至っても「憲法改正の必要はない」と言うのは只の阿呆でしかなく、そんな輩に政治に関わる資格はない。と、言うかこれだけの事態を経て尚、何も変わらないのではコロナウイルスの犠牲になった人々が浮かばれない。理由は戦争だろうが、自然災害だろうが、ウイルスだろうが関係ない。「多大な人的被害」に変わりはなく、犠牲者の数の問題でもない。必要なのは「こういう事態を繰り返さない」為の体制作りである。