日本学術会議任命拒否に拘る連中の知性の低さ

※「自由」は無制限に主張出来るものではない。
 
自民党伊吹文明衆議院議長日本学術会議会員任命拒否の一件について
 
「学問の自由と言えば、水戸黄門の印籠の下にひれ伏さないといけないのか」
 
と、発言した事が国賊野党の反発招いている模様だが、発言は真っ当なものであろう。
 
https://news.yahoo.co.jp/articles/2200881ae92406a71b431a7c68a4231883683e55

 

 


記事にもある様に日本学術会議は軍事研究に反対した過去があるが、元は軍事技術でも現在では一般に使われている物は数多い。ネットもその一つでこのブログで述べた意見に反対意見を述べようとこの記事を読んでいる人も「軍事技術」の世話になっているのだ。「軍事技術=悪」とは言い切れない。
 
そもそもこの一件、任命拒否そのものと「学問の自由」セットで考える事が根本的な間違いで、任命拒否されたからと言ってその学者の研究が国家によって否定される訳でもなければ当該学者自身がこれによって現状より不利な立場に追いやられる訳でもない。また、日本学術会議は国民の税金で運営され、国家の機関として存在し、国家国民の為に役割がある以上、一定水準の国家の意向を受けた活動を要求されても仕方ない。会員が公務員として扱われる以上、それは当然の事である。
 
記事では共産党の反対意見を掲載しているが、日本学術会議はその共産党との関わりが指摘されている。その辺りを明確に説明すべきではないのか?疚しい事がないのであればそこから逃げる理由など一切ない筈だ。
 
そもそも「自由」と言っても無制限に主張出来る訳ではなく、憲法にも「公共の福祉」と言う限界が明記されている。国賊野党には
 
自由権利は国家権力に対抗する為のもの」
 
と言う誤解でもあるのか、国家権力に対してこれを主張して己の正当性を主張するがそれは間違いである。人権と言う概念が生まれた歴史としてはそういう側面があった事は確かだが、時代の変化と共にその性質も変化しているのだ。それが理解出来ないからコイツ等は「憲法改正の必要性」理解出来ないのだろう。
 
 
「印籠を突き付けられるのは悪代官と相場は決まっている」
 
等と述べたと言うが、要するに「学問の自由の標榜=印籠」と認めている訳で、伊吹元衆議院議長の発言を認めているに等しい。批判している連中はこの程度なのである。こんな事よりコロナ対策など、国会で議論すべき事は多い。優先順位を間違えてはならない。何時までもこの問題で無駄な時間を費やすべきではないのだ。