那覇市の孔子廟への土地の無償提供は「政教分離」に反して違憲である。
この裁判、争点は「孔子廟が宗教施設か否か」と言う点にあった。原告側は孔子廟を「宗教施設」とし、そこで行われる孔子の霊を迎えるため供物を並べたり、祭礼日だけ門扉の中央を開いたりする儀式が「宗教的儀式」だと主張していた。一方那覇市は、「沖縄の歴史や文化を伝える教養施設で、宗教的意義はない」「施設が観光資源としても重要な役割を果たしている」「使用料免除は公共的な目的があり、宗教への援助や助長にはならない」等と主張していたが、それらの主張は認められないどころか最高裁の裁判官15人中14人が「違憲」と判断したのだと言うから那覇市の「完全敗北」である。
「施設の性格や無償提供の経緯、一般人の評価などを考慮し、社会通念に照らして総合的に判断する」
儒教関連で言えば湯島聖堂や足利学校などもそれに該当する訳で、湯島聖堂の場合、土地建物は国の所有、管理は公益財団法人が行っており、那覇市の孔子廟同様、孔子祭も行われていると言う。また、足利学校も自治体の所有で同様に孔子祭も行われていると言うが、これらで政教分離が問題視された事はない。何故か?一つには湯島聖堂にしろ、足利学校にしろ「史跡」と言う意味合いがあり、その価値が「宗教的性質より大きい」と判断されるであろう事が挙げられる。那覇市のそれは創設は2013年と比較的新しく、同じ儒教の施設だからと言って湯島聖堂や足利学校と同列に扱う様な物でない事は明らかである。また、那覇市のそれについて
「会の正会員を久米三十六姓の子孫に限る閉鎖性がある」
と言う事実は那覇市にとって決定的に不利な材料となったのであろう。家柄一つで正会員になれるか否か、と言う事実がありながら「論語に触れてもらうことが主眼」と言う大義名分を掲げても説得力には欠ける。せめて誰でも希望者は正会員となれる様にしていれば最高裁の判断にも「焼け石に水」程度でも影響したかも知れないが、那覇市は「年間576万円」もの使用料を免除していた。それが社会通念上受け入れられるかどうかと言えば相当に怪しい。この点も那覇市に相当に不利に働いた事は想像に難くない。
この裁判では下級審はいずれも孔子廟を「宗教的性質を持つ」と認定している。儒教を「宗教」と認めるどうかは引き続き議論の対象だが、少なくとも「そういう性質がある」事は確かであり、その点を抜きにした主張は出来ない、と言う意味にもなるのだろう。