韓国選手団が選手村に掲げた垂れ幕の意味

 

※結局何がしたいのか?
 
東京オリンピックに出場する韓国選手団が選手村に李舜臣の言葉を捩った垂れ幕を掲げたものの、「五輪憲章違反」と断じられ、撤去に追い込まれたが、コイツ等どういう訳か「第二の垂れ幕」まで用意していた。何しに日本に来たのか謎だが、この垂れ幕、本人達はこれで「反日」アピールしているつもりの様だが、実際には自分達の無知蒙昧を晒す行為でしかなかった模様だ。だったら好きにさせておくのも一手であろう。
 

 

 

 
※最初の垂れ幕。
 
最初の垂れ幕は李舜臣
 
「尚有十二舜臣不死」(=臣にはまだ12隻の船があり、私(=李舜臣)はまだ死んでいない)
 
を捩って
 
「臣には5000万国民の応援と支持が残っています」
 
だったが、李舜臣の活躍、と言えば朝鮮出兵に際しての時「だけ」なので明らかな「反日活動」の一環だとしか判断出来なかった。だからIOCに撤去を要請され、それに従わざるを得ない状況になった訳だが、今度は虎を朝鮮半島の形に準え、「虎が降りてくる」と書かれた垂れ幕を掲げた。
 
かつては朝鮮半島にも虎が生息していたらしいが、韓国人の中には「その虎は日本人に絶滅させられた」と信じている人も居るらしい。「朝鮮半島の虎」で有名なのは朝鮮出兵の際の加藤清正の「虎退治」の逸話であろう。この時加藤清正は「槍で虎を仕留めた」とも言われ、現在に伝わる彼の片鎌槍はその際に一部が破損してその姿になった、なんて言われるが実際には鉄砲を使って仕留めたらしい。槍は最初からそういう形に作られていた物である。いずれにしても韓国人は自らを「日本人に絶滅させられた虎」に準えて日本への恨みを表現している、と言う事だ。で、あればこれも五輪憲章違反ではないのか?
 
そうであれば撤去させて然るべきものではあるが、同時にこれは韓国人の無知蒙昧の証拠ともなる。五輪憲章違反ではあるが、その恥を晒す姿をそのままにしておくメリットと即時撤去させるメリットとどちらが大きいかは何とも言えない。
 
韓国人は漢字を捨ててしまったので「トラ」は漢字で「虎」とも「寅」とも書けてしまう。だからこの垂れ幕、見たままの意味の裏に
 
「寅が降りてくる」(=文在"寅"が降りてくる(=降伏してくる))
 
と言う意味があると解釈出来てしまうのである…少なくとも漢字を知っている日本人から見れば、だが。
 
※実際には「降伏」すらさせて貰えなかった。
 
周知の通り文在寅はオリンピック開幕に合わせて来日しようとしたが、自身の望む成果を得られる見込みがなく、来日を断念せざるを得なかった。韓国としては表向きはそうでなくても日本にすがってまで何とかして貰いたい事情があったものと思われるが、それすら叶わなかった訳だ。言わば「日本に梯子を外されて降伏すら出来ず自滅を待つのみ」となってしまったとも言えなくもない。ここに至るまでの韓国側の言動を見る限り「日本による半導体原料の輸出管理体制強化」をどうにかして欲しいのは明白だが、これこそ日本からすれば対韓外交での絶対的アドバンテージなのだから手放す道理からしてない。そういう意味では「助けて下さい」とでも言う「哀願メッセージ」だったからこそ用意周到に準備出来ていたのだろうか?
 
そういう「ネタ的解釈」を抜きにしても指摘の通り「自分達を鼓舞する歴史的名言」がこの国には「皆無」である事がこの垂れ幕の存在の裏返しである事は疑いの余地はない。と、言うかそもそも先の李舜臣の言葉、とされる最初の垂れ幕の文句、実はあれも「後世の捏造」だとも言われており、そうであれば「自分達が歴史捏造をしている」と言うアピールにしかならない。そうでなくても李舜臣は韓国では「抗日の英雄」かも知れないが、その最期は和議を結んで引き揚げる日本軍を勝手に追撃してその際に反撃され、流れ弾に当たって死亡、と言う英雄らしからぬ惨めなものだった。単なるテロリストに過ぎない安重根と言い、この国の英雄、とはそういうのしか居ない事が明らかになっただけだ。歴史を知らない民族とはかくも哀れな存在なのである。
 
コイツ等が何を考えていようが更なる五輪憲章違反の出来事を起こそうものなら即座に大会から国ごと追放する用意だけはしておいた方が良いし、コイツ等のしてくる事には大抵裏があり、その裏にこそ「歴史の真実」が隠れている。李舜臣とほぼ同時代の日本にはヨーロッパにまでその存在が知れ渡った人物や建造物が存在するが、朝鮮半島はどうであったか?韓国人はその意味を考えた方が良い。本当に当時の朝鮮半島が日本より優れた文化を持っていたなら何故それが西洋に伝わらなかったのか?日本の浮世絵は西洋の美術にも影響を与えた、と言われるがそれに比肩する様な朝鮮半島の文化とは一体何だろうか?こうして今日もコイツ等は「歴史の嘘」に酔うのであろう。一種の麻薬中毒みたいなものだと考えるのが妥当なのかも知れない。