日帝残滓の愚を理解しない韓国人
※「日帝残滓」のなれの果て。
「韓国人が歴史を正しく理解していない」
故にこの様なおかしな事も仕出かす。
その李舜臣を祀る祠堂「顕忠祠」と言うのがあるそうなのだがその境内に
「『日本の松』と呼ばれてきた『コウヤマキ』」
なる木があったのだが、それを「日帝残滓」として移植した、と言うのだ。
理由は二つ考えられる。一つは韓国では李舜臣は「抗日の英雄」なので日本原産の樹木が存在するのはケシカラン、と言う市民団体からの要望、もう一つはこの木は1970年に当時大統領だった朴正熙が記念植樹したものらしく、そのせいか娘の朴槿恵はこの要望に応じなかった。朴正熙も親日、と見なされている上に朴槿恵政権の「負の遺産」と見るならそれだけで「日帝残滓」として排除する理由にはなるだろう。
韓国人はそれで御満悦なのかも知れないが、やっている事は「歴史修正」そのものであり、そんな事をした所で李舜臣の実像が変わる訳ではない。いや、それどころか考え様によっては
と言う事も出来るのだが…
※その姿は「救国の英雄」に相応しくない。
「持っている刀が日本刀ではないのか?」
「着用している甲冑は明のものではないか?」
「刀の鞘を握るポーズは『降伏の意思を示す』ものではないか?」
と言う問題点が指摘されているのだ。
こう言う疑問点が出てくる時点で
「韓国人が李舜臣を何処まで正確に理解しているのか?」
「制海権を制して日本軍の補給路を遮断した」
「鳴梁海戦で僅かな兵船で圧倒的多数の日本水軍を撃ち破った」
など枚挙に暇がない程だが、実際には李舜臣は
「釜山は日本軍の根本なり。進んで之を覆せば、日本軍は必ず據(拠)を失う」
と、朝鮮水軍の総力をあげ釜山奪回を目指したが、結果は日本軍に撃退されている。しかもこの様に正しい指摘をしておきながら李舜臣が釜山奪回の為に動いたのは一回だけであった。従って朝鮮出兵時、日本から釜山までの航路は途絶える事なく機能し続けていたのだ。慶長の役で日本軍の補給に支障が出たのは「釜山から先の朝鮮半島内陸部」での話である。
また、韓国で映画にもなった「鳴梁海戦」だが、映画では「十数隻の兵船で数十倍にも及ぶ日本水軍を撃ち破った」事になっているが、実際の「鳴梁海戦」では確かに大名来島通総を戦死させた、と言う戦果はあるものの(コレが朝鮮出兵での大名クラス唯一の戦死例)、本人は日記で
「賊船三十隻撞破」
と、記しているだけで、「戦果」に関する記述はない。韓国人は歴史を考察する際、「当事者の証言を尊重」するのではなかったのか?
実際には李舜臣の艦隊が兵船12、3隻程度だったのに対し、日本軍は先発隊数十隻程度だった。戦術的にはこの海域の潮流を活かして日本軍に損害を与えたのは事実だが、李舜臣は後続艦隊との戦力差を考えたのか、その日のうちに退却しており、結局日本軍の進出を止める役には立たなかった、と言うのが真相だ。勿論、日本軍の戦略に支障は何もなかった。
李舜臣の最期も英雄に相応しいものではなく、露梁海戦で討ち死に、と言うと聞こえは良いが、
「断じて『名誉の戦死』ではなく」
和議が成立して撤収しようとする日本軍を「不意討ちしようとして」返り討ちにされた、と言うのが実際の所だ。和議を無視して不意討ちする様な者の何処が「英雄」なのか?そこで李舜臣が討ち死にした、と言う結果を考えると「神」と言うのは実在するのかも知れない。
この様な李舜臣の実像を見ると「何処が英雄」なのか理解不能なレベルにもなるが、当時の李氏朝鮮が李舜臣の死後、最大級の勲功を与えているのは紛れもない事実だ。死後200年経った時点では「首相扱い」であった程だ。勿論日本はじめ、朝鮮や明の歴史書にもその名は登場し、日本では一般庶民でも「知り得る」状況ではあったが、「注目度」はなかった様だ。そんな李舜臣を「英雄」とする「その種を撒いた」のは意外にも日本人である。
「朝鮮にもこんな『偉大な先人』がいたのだからお前達も追い付け追い越せ」
と言ったところか。