テロリストの手紙が文化財になる韓国の異常性
「二重橋爆弾事件」とは1924年に朝鮮人金祉燮が当初日本政府要人を襲撃しようとしたものの、その機会として狙っていた議会開催が延期となった為、皇居襲撃に変更したものの、二重橋前で警官に発見され、爆弾を投げたものの(全て不発)、逮捕され、有罪となった事件である。爆弾が不発だったのは単なる結果論でしかなく、何処からどう見ても「テロ事件」以外の何物でもない。それでも金祉燮に対する裁判はキチンと行われ、検察は死刑を求刑、弁護人は無罪、本人は死刑(=朝鮮独立運動の殉国者になれる)か無罪のどちらかを主張したが、判決は無期懲役。その後恩赦で懲役20年に減刑されたが、獄中で死去している。
そんな金祉燮が獄中で弟や妻に送った手紙が残っているそうで、内容としては弟への手紙には家族の心配や同志の安否を尋ね、妻への手紙には「面会には来ないよう」述べていると言う。これの何処に「文化財」としての価値があると言うのだろうか?
「文化」とは言葉で表すとなると意外に難しい概念だが、
「歴史的、国家的、民族的と言った集団における社会形成で培われた習慣、風習の総体」
とでも言えるだろうか?で、あればこの金祉燮の手紙は「歴史資料」としては
「テロに失敗して有罪となったテロリストの獄中での心情」
を伺えるものとして存在意義を認めるとしても、そこには「朝鮮半島の歴史、朝鮮民族としての社会形成で培われた要素」など皆無である。しかも韓国で言う「独立有功者」は当時の朝鮮半島の人口から見ても1%いるかどうかの少数派だ。しかもやっていた事と言えば「テロ」でしかないのだから韓国は
「テロが文化」
コイツ等がこうなるのには理由がある。そもそも日本が統治する以前の朝鮮半島に「文化」と呼べる代物が殆んど存在していなかったので「文化とは何か?」と言う理解がないのである。
※併合前の朝鮮半島での一コマ。
上記画像は併合前の朝鮮半島の様子である。写真に写っている人物の服が全員白一色なのは
「この時代の朝鮮半島に染色技術がなかった」
からである。勿論日本にはその遥か以前からそういう技術があった訳で、色鮮やかな衣服が沢山残っている。それ程までに差は歴然としていた訳だ。そんな「文化の何たるか」も判っていない国だからこういう事は往々にしてあり得る話なのだが、それでも
「テロが人間として許されない事」
であるのは人類共通の認識である。韓国はその認識すら欠如しているらしい。こういう国と「価値観を共有している」とどうして言えるのか?
同時にそれを誇らしげに報じるハンギョレもまた異常である。どんな理屈をこねても「テロに正義はない」のである。例え朝鮮人の「日本統治への反発」に正義があったとしても「テロ」に走った時点でその正義は失われる。韓国人はその意味を先ずは理解すべきだ。我々としてはこの様な韓国の異常性をしっかり認識し、その意味を周知させる必要がある。韓国こそ
「テロ支援国家」
として認定すべきである。