自民党がリベラル政党!?
※「保守」か「リベラル」かは基準一つで変わる。
以下の記事、視点としては中々面白い。自民党総裁選に出馬している候補全員が
「アメリカから見たらリベラル」
だと言うのだ。だが、「保守とリベラル」の定義など何を基準にするかで入れ替わってしまう事もある。そこが政治の面白さでもあり、難しさともいえるのだろうが。
https://news.yahoo.co.jp/articles/92ce438c0186815c2730dbb987b19d666350b465
※リベラル??
昨日の記事でも述べたが、
アメリカの「リベラル」とヨーロッパの「リベラル」は違うものである。ヨーロッパの「リベラル」は国王や教会といった権威に対抗すべく生まれた概念だが、アメリカは建国以来共和制なのでリベラルが対抗する相手になる国王など最初から存在しない。ヨーロッパの「リベラル」勢力が「保守派」となり、共和党に繋がっている。その意味では共和党はアメリカや日本では「保守」と見られるが、ヨーロッパから見れば「リベラル」と見る解釈だって成り立つ。
※保守??
一方「保守」は誤解が多いが「守旧」とは似て非なる概念だ。「保守」とは
「その国の伝統や習慣、風習をベースにそれを更に発展させていく」
と言うものだ。だが、そのベースになるものが何かで評価はガラリと変わる。
例えば憲法9条。と、言うか憲法そのものと言っても良いが、日本国憲法を改正する事なくそれをベースにした政治を志向するのを「保守」と言うなら立憲民主党が「保守」で憲法改正を志向する自民党が「革新」だと言う解釈だって出来てしまう。かつて枝野幸男は「自分達こそ保守」と言う趣旨の発言をしていたが、 別段狂っての妄言ではなく、こういう解釈が前提なら確かにそうだと言える部分はあるのだ。
※ある意味正しい。
だが、そんな枝野幸男の発言を額面通りに受け取る人は少数派だ。圧倒的多数が「コイツ何を言っている?」と失笑するのが現実だ。何故か?答えは簡単で
「日本の保守が重視する『日本の伝統』はそんなに歴史の浅いものではない」
からだ。
例えば皇室。世界最古の王家であり、初代神武天皇以来その「Y染色体を」現代にまで受け継いでいる唯一の例である。だからこそ他国の王家さえも畏敬の念を抱くのだが、その意味を判らず「男女差別」を持ち込むから始末が悪い。
「皇室の存続=Y染色体の継承」
なのだが、生物学的には幾ら女性が頑張っても自らの遺伝子にY染色体を取り込む事は出来ない。文句があるなら
「女性が女性のままY染色体を保持して遺伝させる技術」
を開発してからにすべきである。まぁ、仮にそれが出来るとしても「倫理的問題」が待ち構えているのだが。
また、「男女差別」や「人種差別」と言った概念から日本は元来無縁の存在だった。女性天皇は一人や二人ではないし、戦国時代には女性の家督相続も認められていた。女性城主だって存在していた。また、織田信長は宣教師の連れていた黒人奴隷を引き取って一人前の侍にしようと可愛がっていた事はよく知られた話だ。
※時代の先を行っていた。
特筆すべきは聖徳太子で、既に
「和を以て尊しとなす」
と、「問題を話し合いで解決して、その合意を遵守する」と、現代の民主主義にも通じる理念を挙げていた。この時代なら
と言っても良さそうなものだが、この時代に日本には「民主主義」に通じる理念があったのだ。「聖徳太子は存在せず、十七条憲法は後世の創作」と言う人もいるだろうが、そうだとしてもその創作が行われた時点でそういう考えがあったのは間違いない。しかもそれは西洋から輸入したものではなく、だ。
その他外国発祥の文化や風習も取り込んで自分達のものにしてしまう柔軟性や創意工夫で自分達の技術を高めていくなど、「日本人の良い所」は沢山ある。それらをベースに「日本をより良くしていこう」と言うのが「保守」のあるべき姿である。
従ってある国で「保守かリベラルか」などと言う問題を他国の目線で見ても余り意味はないのだ。保守もリベラルもその国の歴史や政治情勢によって変わる。ただ、唯一世界共通で言えるのは
「共産主義は誤りであり、人類に不要な政治体制、思想である」
と言う事であろう。その逆を行く政治家を選べばまず間違いは犯さないと言い換える事も出来るだろう。それだけでも民主主義は十分に機能する。