憲法議論に消極的な政党は国会には要らない
※各党の憲法に対する言及。
今回の衆議院選挙、「憲法」は主要な争点とはなっていない、と言われている。確かにそう感じる部分はあるが、それは「コロナ対策」「経済建て直し」と言ったもっと優先すべき、かつ国民生活に直結する課題があるからに過ぎない。少なくとも「護憲」を掲げる政党にはある意味追い風だが、有権者としてはこういった問題にも目を配り、投票先を選ばなくてはならない。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a242074877324d6e4f45f3a7654259635c31dbdc
憲法とは国の根幹を成すものである以上、疎かにする時点でそもそも国の政治に関わってはならない。「改憲しない」「政治が憲法の在り方を考えない」弊害は9条に代表される安全保障だけでなく、我々一般国民の日常生活にもおよんでいる。
※現実を理解しない奴に政治を行う資格なし。
例えば日照権。憲法には明文規定はないものの、政党を問わずその権利の存在を否定する者はまず居ない程認知された権利だ。だが、高層マンション建設差し止めを求める裁判でそれを主張しても認められるケースはほぼない。何故か?
勿論マンション建設業者にも建設の権利はある。そしてそのマンション建設には建築基準法やその地域の条例など、様々な規制や手続きはあるが、それらをクリアしていれば建築許可はまず出る。法律で明文で認められているからだ。一方日照権は?と言うと権利の存在を否定する人はまず居ないが、憲法上明文の根拠も範囲も規定はない。従って抽象的な憲法上の権利より具体的な法律の規定が優先される、と言う事態になりかねない。勿論自治体によっては条例で日照権を保護している場合もあるが、日照権を「人権」と言うならキチンと憲法上で明文化する、と言う事をして初めて「人権擁護の仕事をした」と言えるのではないか?
※口先だけの政治家は要らない。
他にも憲法上の事として考えなくてはならない課題はある。だが、憲法に手を付けず小手先の解釈変更だけで全てを解決する事は不可能だ。よって立憲共産党が主張する「人権擁護」など口先だけのパフォーマンスにしかならない。本気で主張する権利があるなら
「その権利を憲法に明記する」
と主張しなければならない。それをしないのはある種の「集票詐欺」の様なものである。解釈でどうこう揉める位なら国会で改憲草案を出して国民投票で決着させれば有無を言わさぬ明確さがある。何故そうしない?そもそも改憲の是非は国会ではなく国民が決めるものだ。それを一部の少数意見によって機会さえない、と言うのは主権者である国民を蔑ろにする行為だ。立憲共産党にはその意味が理解出来ていない様だが。
従って憲法議論に消極的な政党は国会には要らない。そんな連中が政権を取っても「やるやる詐欺」で終わるのが関の山、どんなに好意的に見ても「悪夢の民主党政権」並みにしかならない。「守旧が弊害」と言うなら現在の憲法に無駄に拘る国賊野党がまさにそれだ。「守旧」と「保守」は違う。まずはその意味を理解するべきである。