落武者の泣き言でしかない元朝日新聞記者のコラム

 

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※何を言っても既に決着は付いている。

 

元朝日新聞記者が韓国メディアにコラムを寄稿しているが、実に見苦しい自己満足の駄文でしかない。その主張を日本で行って多くの日本人の認識を転換できれば「言論」として評価も出来るが、自分達の妄言を理解してくれる韓国でわざわざ主張するあたり、日本に対しての言論としてはやり口からして卑怯である。これが「朝日新聞の言論」のやり方なのだろうか?それがこのコラムの筆者の骨身に染み付いているからこの様な真似が出来るのだろう。
 

 

 

 

 

 

 

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※今更何を言っても「慰安婦強制連行」の証拠はない。
 
このコラムが卑怯なのは植村隆慰安婦記事の件で「捏造記者」と評された事について敗訴した事は触れても朝日新聞が「慰安婦強制連行」を証言した吉田清治の証言に関する記事を「裏付けが取れなかった」として取り消して謝罪した事実に一切触れていない事である。これでは韓国で「何故日本が慰安婦強制連行を否定するのか?」と言う事が全く伝わらない。元朝日新聞記者ならそれを知らない筈はないだろう。それにも関わらず未だに「証拠が一切ない慰安婦強制連行説」を前提にコラムを書くその姿勢は言論人としての矜持を欠くものだ。だから「卑怯」なのである。
 

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※それを「言論詐欺」と言う。
 
また、慰安婦強制連行の証拠がない事は近年明らかになった訳ではない。90年代には既にそれは指摘されていたのだが、朝日新聞は検証すらしなかった。植村隆自身「慰安婦」と「女子挺身隊」の混同について指摘はあっても検証も訂正もしていなかった。言論機関、言論人としてその主張に間違いを指摘されれば検証して間違いが判明すれば訂正もしくは撤回するのが筋だが、それをしなかった事実は「悪意あり」と判断されても仕方ない。確かに植村隆の訴訟で裁判所が「植村隆は捏造記者」と判示した訳ではないが、「捏造と判断されても仕方ない」と言う判決であり、植村隆が「捏造記者」と言うレッテルを剥がす事には失敗した事に変わりはない。
 

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※日本では見向きもされないから韓国で主張するのだろう。
 
日本人は歴史に対しては韓国人と違って「証拠」を重んじる。所謂慰安婦問題が植村隆の記事によってクローズアップされたとしてもそれからキチンと学術的考証は怠っていなかった。韓国は「謝罪だ賠償だ」と騒ぐだけだったが、学術的考証がされていれば幾ら「慰安婦強制連行」を主張してもそういう根拠を伴った反論が来る事は目に見えている。だから朝日新聞はこの手の論戦から逃げ続けていた。そうしている内に吉田清治の証言は捏造だと判明し、「慰安婦強制連行の証拠がない」事は政府見解となった。この時点で河野談話など既に有名無実だったのだが、韓国がその意味を理解する事はなかった。結局河野談話自体にも検証が入り、自称元慰安婦の証言の裏を取っていなかった事実や文言作成に韓国政府の介入があった事が明らかになった。そうなったらもうアウトで日本人の誰もが「慰安婦強制連行」なんて信用はしない。日本人でそれを主張する様な輩がいるとしたら意図的に嘘出鱈目を拡散して日本を貶めようと言う「悪意」がある奴だけだ。このコラムの筆者もそういう一人なのだろう。そうでなければ「韓国でしか支持されない」主張をする訳がない。「裏付けを取る」のは記者としては当然であるが、それを怠ってきた様な連中に四の五の言う資格はない。このコラムの筆者もその一人だと言える。
 

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※第三者が見ても結果は明らか。
 
余り知られてないが、自称元慰安婦アメリカで日本政府を相手に訴訟を起こして敗訴している。これは当時アメリカでそういう訴訟が可能となる法律があったからなのだが、こういった事実も日本の態度の変化に少なからず影響はしているのだろう。この時点で韓国の言う「法的責任と賠償」は完全にその道を閉ざされたと言っても過言ではない。
 

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※これを発表した日本の外相は今や総理大臣。
 
その上所謂慰安婦問題は「最終的かつ不可逆的に」解決したと日韓政府で合意した。今更何を言っても無駄なのだ。このコラムの筆者が自分の主張を正しいと言うなら今からでも「慰安婦強制連行」の物的証拠を提示する以外手段はない。韓国ではなく日本で堂々とそれを主張して反論する論客を全て論破して始めて「正当な主張」として認められる。やれるものならやってみろ、と言う所だ。所詮は「日本では支持されないから韓国で主張する」のは「負け犬の遠吠え」レベルでしかないが、それが朝日新聞によってジャーナリズム精神を培ってきた者の末路なのだろう。落武者より惨めな姿を晒して何が「言論」なのだろうか?「言論」とは言いたい事を言うだけではない。キチンと根拠や証拠がなければ話にならないのだ。朝日新聞やその関係者が所謂慰安婦問題で追い詰められたのはそれがなかったからだ。それを理解しない限り朝日新聞の凋落は止まらないだろう。そして日本での居場所もなくなっていく。この件に関しては韓国はそういう「落武者の集落」となっているのだ。それで満足なのか?このコラムの筆者はそういう事実をまずは認識すべきである。