反省なき朝日新聞

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ゴジラが初めてその手で東京タワーを破壊した「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS」。そのストーリーはモスラと小美人が1961年の映画「モスラ」に登場した言語学者を訪れ「機龍(=メカゴジラ)に使われているゴジラの骨を海に返して欲しい」「人間がゴジラの骨で戦いの道具を作ったのは大きな過ち」と告げる事で動き出す。

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作中で戦いの一部始終を見届けた中尾彬さん演じる五十嵐総理は自衛隊幕僚長の「これを、勝利と呼んでよいのでしょうか…?」と言う問いに対して「失ったものは大きい。だが我々は自らの過ちに気付き、その過ちを認める勇気を得た。それこそが勝利だろう。」と答える。その前作「ゴジラ×メカゴジラ」以来ゴジラの骨でメカゴジラを製作し、ゴジラを倒そうと言う計画の中心にいた人物だけに重みのある言葉であると言えるだろう。

人間である以上誰でも過ちはその大小を問わずある。だが、それを認める事が出来るか否かはまた別の問題だとも言える。筆者はそれほど出来た人間ではないと自分では思ってはいるが、少なくとも「過ちに気付いていながらそれを認める事が出来ない」とこうなる、という事は紹介できるだろう。

http://www.asahi.com/articles/ASH1P35PDH1PUSPT007.html?iref=reca

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朝日新聞の社説である。所謂慰安婦問題で教科書から慰安婦強制連行の記述が消えることが気に入らないようだ。数研出版の「現代社会」の教科書では、「強制連行された人々や『従軍慰安婦』らによる訴訟が続いている」というくだりを、「国や企業に対して謝罪の要求や補償を求める訴訟が起こされた」と直すことにした。理由は「記述の誤記」だという。朝日新聞数研出版に事情を確かめるべく取材したようだ。これに対する数研出版の答えは「より客観的な事実関係を述べるように見直した」と答えたそうだ。

それはそうだろう。朝鮮人女性の強制連行に関する唯一の加害証言だった吉田清治のそれは嘘出鱈目捏造歪曲狂言でしかないのは周知の事実で当の朝日新聞でさえ認めた事である。また河野談話はその作成過程において韓国の干渉、証言の裏付けも取らない杜撰な物であったことは国会の調査で判明し、かつ当の河野洋平本人がそれを認めている。更に植村隆の書いた記事は戦時売春婦と女子挺身隊を(意図的に)混同した出鱈目記事だった。これに真実性をどう認めろと言うのか?朝日新聞がそれを論証するべきだろう。それが出来もしない癖にあれこれ言うのは「負け犬の遠吠え」以外の何物でもない。

《自社(数研出版)サイトでは「高校の先生へ」として「客観的事情の変更等」があったとし、生徒に必要に応じて周知するよう求めた。

だが、事情が具体的にどう変わったかにはふれていない。これでは教員もどう生徒に伝えてよいかわからない。訂正の経緯と理由を丁寧に説明すべきだ。》

…等と言うがそれをやったら恥の上塗りになるのは当の朝日新聞だ。この期に及んで恥の上塗りをしたいらしい。それなら数研出版には是非とも「朝日新聞吉田清治の証言に関する記事が嘘出鱈目捏造歪曲の類で当の朝日新聞が昨年8月にそれを認めて記事を取り消し…」と逐一明確に述べてもらえばよい。

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朝日新聞の主張と逆の証拠なら幾らでもある。

《「従軍慰安婦」の表現が適切かどうかという議論はあるが、軍の関与の下で慰安所がつくられたことは事実だ。》

と社説は言うが、元々「慰安婦」とは軍人の為の売春婦である。その場である慰安所に軍が関係して当たり前だ。また現在の感覚ではナンセンスな話だが、当時公娼は合法だった。そういう事実を無視して話を「人権問題」にすり替えるのは言論を扱う者としては不適切である。

結局は自身に不都合な真実から目を背けて嘘出鱈目に基づいて記事を書く。朝日新聞は何も変わってはいない。やはり朝日新聞の辞書に「反省」の文字は無いようだ。

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