武蔵野市の外国人住民投票付与は憲法上問題あり
との事。尚、この判決の「傍論」と呼ばれる補足部分に「法律で規定するなら話は別」と解釈出来る文面が存在した事から民主党政権はこれを根拠に外国人参政権付与を謀ったが、それを書いた裁判官自身が「そういう意図で書いたものではない」と後に外国人参政権付与の意図を否定している。いずれにしても
「憲法93条2項の『住民』に外国人を含めるか否か」
それでもこんなバカな条例案を推進しよう、と言うのは何か裏があるのだとしか思えない。衆院法制局は国会議員のサポート機関で、立法に際する違憲審査や議員による法令解釈などを行っている機関だ。つまり、新たな立法を行うにあたってその法案が憲法に違反していないかや他の法律との兼ね合いなどを事前に審査している、と言う訳だ。裁判所とは違ってその見解に法的拘束力はないものの、立法に関わるのであればその見解は無視出来ない重みがあると言える。そんな機関が憲法上の疑義を呈しているのだ。武蔵野市長の姿勢こそ「権力の暴走」「地方自治の曲解」であると言う解釈に間違いはないだろう。
外国人の人権に関しては度々議論になるが、人権にも色々な性質があり、その性質上外国人には認められない権利、と言う物も存在する。参政権がその最たるものだが、これを外国人に認めないのは「区別」であって「差別」ではない。国際的にも「差別」はNGだが「区別」はOK、と言うのが常識だ。武蔵野市長は「差別」と「区別」の違いが判っていないに違いない。条例案を出す前に先ずはその違いを勉強する事をお勧めしたい。
※武蔵野市を待ち受ける運命。
これぞまさしく「庇を貸して母屋を乗っ取られる」第一歩である。そうなれば市長は選挙で連戦連勝なのかも知れないが、地方自治とは名ばかりの無法地帯と化す危険すらある。武蔵野市長は自分の市長としての地位が安泰なら他はどうでも良いのか?そうであれば公人としての最低限の矜持すら持ち合わせていない事になる。何で武蔵野市民はこんなのを市長にしたのか?いずれにしてもこの条例案を推進する事は憲法違反である事は明白、そして法治国家の対面を汚す愚行以外の何物でもない。反論する前に先ずは「差別」と「区別」の違いを学ぶ事。それが先決だ。流石菅直人の地盤なだけあってロクなのがいない。武蔵野市民はこの条例案を阻止して良心を示す事が出来るかどうか試されていると言えるだろう。