テレビを持つ限り受信料を支払う義務があると言う理不尽

 

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※優遇され過ぎだろ。
 
最高裁が不可解な判決を出した。「NHKだけ映らない」テレビを購入したら受信料を支払う義務があるのかどうか争われた裁判で最高裁
 
「それでもNHKとの受信料契約は必要」
 
と判断したのだ。NHK、優遇され過ぎだろ。
 

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放送法64条。
 
放送法64条では「NHKの放送を受信する事の出来る受信設備を設置した者は受信料契約をしなければならない」としている。例外としてNHKの放送を受信を目的としない受信設備、ラジオ、多重放送のみ受信出来る受信設備は契約の必要はないとしている。
 
ここで問題になるのは原告が買ったテレビはデフォルトでNHKが映らない様に加工されていた。1審ではそれが認められて勝訴したが、2審で逆転敗訴、最高裁でも2審の判決を追認した形になるが、この「NHKだけ映らない様に加工されたテレビ」は加工前は普通にNHKが映るテレビとして開発され、販売されていた物なのだろう。それ故にこの様な判決になったのだと思われる。

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※それだけではなさそうだ。
 
つまり、「NHKだけ映らないテレビ」として開発され、販売されているものでもあれば話は別だが、基本的に「テレビはNHKを受信出来る設備」と判断する、と言う意味だろう。メーカーでそういうテレビ、開発・販売してくれないものか?
 
メーカーとしてもその気にさえなれば特定の放送局だけ受信したり、受信出来ないテレビを開発する事は十分に可能なのだろう。だが、そんなテレビは実際には販売されていない。放送局の数が有限で、公平性を損なう、と言う理由なのだろうが、そこには「視聴者が見たい放送局を選択する自由」は存在しない、と言うか最高裁はこの判決で
 
「国民の『テレビでNHKを見ない自由』」
 
を認めない、と言う判断をしたのだと言い換える事も出来る。それで良いのか最高裁
 

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※この最高裁判決がまさにそれ。
 
これだけ世間で「多様性」が主張されているならテレビだって「見たい放送局を選択する自由」があっても良い。テレビを買う時点で購入者が受信出来る放送局を選択出来る様にして納品時点でその様に設定し、後から視聴者が勝手に設定変更出来ない様にしておけば良いのだが、テレビを買う自由も、見たい放送を見る自由もあるのに「NHKを見ない自由」は認めない、と言うのはどう考えてもおかしい。「公共放送だから」なんて言い訳は通用しない。テレビが誰でも買える代物になって何年経っている?それまでにかかった経費があるのは当然だが、その減価償却が終わっていないなんて事はないだろう。公共放送なら利益を目的とする必要もないのだからNHKが蓄財する必要もない。NHKが余った予算や利益をどれだけ視聴者に還元している?ハッキリ言ってそのバランスが取れているとは到底言えない。だから視聴者から不満が出るのだが、それを全く判っていない。
 
全ては放送法を全く改正しないで時代遅れのまま運用している政治が悪い。放送法を時代に合った内容に適宜改正していないのは国会の怠慢以外の何物でもない。裁判官も現在有効、もしくは改正されていればその時点での法律に基づいた判断しか出来ない。それ故この様な判決になってしまうのだ。テレビの放送網が構築され、国民に浸透させる時代などとっくの昔に終わっている。何時までも法律が変わらないままではこの様な理不尽な事が多発する。そうならない為にも国会で時代に合った放送法の改正が必要なのである。