マグロの初セリを見た中央日報の異常な見識

 

※見るからに良い雰囲気を出している(と思う)。
 
毎年1月5日は恒例の「マグロの初セリ」が行われ、その最高落札額はニュースのネタになるのは年初の風物詩だ。豊洲市場での今年の初セリの最高落札額は1688万円だったそうで、キロ単価に直すと約8万円。我々が普段スーパー等で目にする刺身の柵を一つ買おうとすると福沢諭吉が1枚簡単にサイフから消え去ると言えばその価格の恐ろしさを実感出来るだろう。
 
その初セリを韓国メディアも取材していた様だが、その割には随分おかしな見識の記事が出来上がった様だ。見る目がないのか?それとも歪曲しなければ記事を書けないのか?いずれにしても愚劣にも程がある。
 

 

 

2019年の初セリでの3億3360万円に比べれば今年の1688万円は確かに数字上は物足りない。だが、あの時はすしざんまいの社長と香港のバイヤーが激しく競り合った結果であり、あの時が単純に常軌を逸していただけだ。今年はそういう「激しい競り合い合戦で落札価格が暴騰」する要素が最初からなかっただけで、初セリとしては「適正価格」と言う声が大半だ。そういう声は取材しなかったのか?中央日報
 
要するに中央日報が言う様に「マグロの初セリはその年の日本経済の見通しを示すバロメーター」にはならない。何を狂った見識を出しているんだか?
 
また、マグロに限っては目利きが非常に難しいと言う。不肖筆者も毎日の様に何らかの魚を選んで買って食べているが、そういう経験もマグロに関してはまず役には立たないのではないかと思っている。
 
中央日報にそんな矜持はない。
 
プロは尻尾の切り口の断面で良し悪しを判断すると聞くが、不肖筆者などが見ても何も判らないと断言出来る。一応内臓を除去する為に切った腹の断面も目利きのポイントになると言う。これなら何とか判りそうな気もするが。また、肩口の肉付きの良さなど、他の魚にも言えるポイントはあるのだろう。水揚げされたばかりの生マグロなら兎も角、冷凍物となるともうお手上げだ。そういう点から冒頭の写真を見る限り「良さそう」とは思うが、実際の所は現物を見ても不肖筆者の様な素人には判るまい。いずれにしても素人の及ばないレベルで「目利きのプロ」が適正価格で競り合った結果の落札額だ。その年によって「高値が付くであろうマグロ」とか「良いマグロ」とされるマグロがどれだけ水揚げされるかどうかなど予測は不可能なのだからそもそも他の年の初セリと比較する意味からして「ない」と言える。中央日報の見識はここでも間違っていると言えるだろう。
 
※史上最高額の5万5600分の1で買った本マグロ。
 
また、この記事では「鮮度が重要なマグロの刺身」と書いているが、実際にはマグロに関しては魚の中でも「熟成させて」用いられる事が多い。それはマグロが
他の魚に比べて巨大なので、旨味成分が生成、蓄積される時間的余裕があるからだ。こういう初セリに出てくるマグロは体重200kgを余裕で越えるが、それは大概の力士の体重をも上回る数字なのだ。「マグロの身は牛肉に近い性質」と言われるのはそういう意味なのである(牛肉も2週間程熟成させているそうだ)。また、現在では他の魚でも熟成させて使う料理店は増えていると言う。勿論魚である以上鮮度も重要な要素に違いはないが、鮮度だけを追求するのが能ではない、と言う事だ。その魚を熟成させて一番美味しい食べ頃を見極めて客に出す「目」も料理人に要求される時代になっているのだ。中央日報の主張はその意味では数十年は遅れている。因みに上記の本マグロはその史上最高額の初セリの数日後に今はなき浦安の魚市場で見付けたマグロだ。売場に1匹のみしか居なかったので選択の余地などそもそもなかったが、店のオバチャンの好意でキロ2000円と本マグロ1本買いとしては初セリとは逆の破格の値段で売ってくれた。3kgのマグロだったので何と6000円。すしざんまいの社長の落札額の5万5600分の1の値段でしかないが、それでもメジマグロとしては十分に美味しいマグロだった。(サイズ的にさすがにトロなどなかったが。)勿論「高いマグロだから美味い」とは限らない。そもそも初セリでは「ご祝儀相場」と言って通常より値段が高騰する。そういう習慣についてもこの記事は触れていないが、本当にキチンと取材したのか?中央日報?韓国ではそうかも知れないが、少なくとも日本では「数字だけが全て」ではないのである。
 
※それは時として判断を狂わせる事もある。
 
この記事を書いた中央日報の記者は「自分の目で見た事実」こそ「嘘偽りない真実」と思い込んでこういう記事を書いたのだろうが、実際には「事実」と「真実」は「似て非なる」ものである。また、「数字だけでは計れないもの」と言うのも存在する。特に日本はセリ限らず「目に見えない」部分が大きく作用する事が他国に比べて大きく、「ご祝儀相場」を込める気持ちなどはその典型だろう。他国でこういう初セリの様な習慣があるかどうかは知らないが、仮にあったとして日本人がそこで「ご祝儀相場」と言う気持ちを込めて大金で競り落としたとしても外国では「日本人がカネに物を言わせて競り落とした」位にしか思われない、なんて事もあり得る。「見ただけの事実」が全てではない。特に他国の事を記事にするならそういう「その国での習慣」を理解した上で記事を書くのは当然の様に求められる事であるが、この記事からはそういう精神は微塵も感じない。そんな代物を韓国内だけで勝手に配信するなら兎も角、当の日本で日本語に翻訳して記事として配信するなど「愚行の極み」でこの記事におけるヤフコメを見れば一目瞭然で判る様に「批判一色になる」のは必然の結果である。そういう予測は出来ないのか中央日報
 
結局中央日報は年初から躓く様な失敗をしたに等しい。他国の心配などをする前に先ずは自分達の「メディアとしての在り方、矜持」から見直して見てはどうか?それとも敢えて自分達の取材の結果を歪曲してこうなったのか?もしそうならメディアとして在り方からして間違っているし、そうでないなら「単なる実力不足」だ。これが韓国のトップメディアなのだから情けないにも程がある。日本も余り人の事は言えないが、今年もこれでは「メディアの健全化」は日韓共に期待出来なさそうだ。その点だけは「日韓共通のアジェンダ」だと言えそうだ。