仏が韓国の嘘を暴く

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日本に仏教が伝わったのは朝鮮半島経由であると言われている。正確な年代は史料によって差があり、諸説あるが、概ね「六世紀中頃の欽明天皇の時代に公伝した」のはまず間違いなさそうだ。

これも韓国人に言わせると「無知蒙昧の倭人共に有り難い仏の教えを伝えてやった。」となるのだろうが、矢張り簡単に化けの皮が剥がれる。

日本書紀」の説を採用するならば(最近は主流ではないようだが)
552年10月に百済聖明王(聖王)が使者を使わし、仏像や経典とともに仏教流通の功徳を賞賛した上表文を「献上」した事になる。

ここで注視すべきは百済王が倭王(=天皇)に「献上」したとする記述である。この上表文は後世に作成された可能性アリと言われ、専門家には余り信用されていないそうだが、仮に改竄されていたとしても韓国の歴史認識通り「無知蒙昧の倭人朝鮮半島の優れた技術や文化を伝えてもらった」のならば、日本書紀自体が百済王を見下した表現にはするまい。

…少なくとも六世紀中頃には日本に伝わっていた仏教だが、一般人まで浸透するには鎌倉時代の浄土宗や日蓮宗の登場を待たなくてはいけない。浄土宗や浄土真宗日蓮宗は一般人にも分かり易い点に特徴があり、それが大衆に広まり、現在に至るまで多数の信者のいる宗派となっている。

しかしそこに至るまで数多くの仏教文化が日本で発展し、その内世界文化遺産に登録されているのも多い。

単独で
法隆寺(地域の仏教建造物)

京都の文化財として
教王護国寺(東寺)
清水寺
延暦寺
醍醐寺三宝院を含む。
仁和寺
平等院
高山寺
西芳寺苔寺
天龍寺
鹿苑寺金閣寺
慈照寺銀閣寺)
龍安寺
西本願寺

奈良の文化財として
東大寺 - 正倉院を含む
興福寺
元興寺
薬師寺
唐招提寺

日光の文化財として
日光山輪王寺(大猷院霊廟を含む)

平泉の文化財として
中尊寺毛越寺

が、寺院として世界文化遺産登録(またはその構成要素)になっている。

さて、「無知蒙昧の倭人共に有り難い仏の教えを伝えてやった。」筈の韓国の世界文化遺産仏教文化に関係あるのは

石窟庵と仏国寺
海印寺大蔵経板殿

で、ある。

勿論世界文化遺産登録数だけで比較するのには無茶があるが、この国の歴史を見れば李氏朝鮮時代に儒教が国教とされ大規模な仏教弾圧があり、その所為で多数の仏教文化財が失われたのは容易に想像出来る。そして現在韓国では仏教は信者数は宗教別に見たら二位だという。日本でも明治初期に廃仏毀釈があったが、日本の宗教別信者数は仏教が圧倒的一位である。

余談だが、日本に儒教が伝わったのは513年だから、実は仏教より早い。しかし日本では儒教は宗教というより寧ろ学問として捉えられ、学問的研究はされても宗教的に見られる事は少なかった。現在でも儒教の考えは道徳や倫理の授業で登場機会が多いのを見れば明らかだろう。(支那では 「名教」「礼教」「孔教」「孔子教」等の名で宗教として捉えられる。)

文化というものは発祥とそれを如何に受け継いで更なる発展に導いていくかが最も重要である。韓国は仏教発祥地ではないし、また受け継いで更なる発展に資したかは日本と比べるとまぁ言うまでも無かろう。単なる伝播国の一つに過ぎない。それどころか「 憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によってのみ止む」と言うブッダの言葉を理解出来ずその反対の事をしている国である。「無知蒙昧の他者に有り難い教えを伝えてやる」のならば、少なくともその教えの意味は判ってなくては意味がない。この点からも韓国の認識が単なる嘘に過ぎないのは明らかだ。

因みに倭人が無知蒙昧であったか否かは魏志倭人伝の以下の部分を読めば明らかである。

不盗竊、少諍訟。 其犯法、輕者没其妻子、重者滅其門戸及宗族。 尊卑各有差序、足相臣服。

訳:盗みはなく、訴訟も少ない。 法を犯す者は軽い者は妻子を没収し、重い者は一族を根絶やしにする。 宗族には尊卑の序列があり、上のもののいいつけはよく守られる。