暦の変更だけではない。

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…何気ない記事でしかないのかも知れないのだが、筆者としては少々気になった記事である。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150102-00000517-chosun-kr

韓国・朝鮮日報が「漢字文化圏で日本は唯一旧正月が休みでない」という指摘をしているのだ。

支那でも韓国でも旧正月(太陰暦での正月)は日本の正月休みの如く連休となる。その頃日本は…と言うと多くの人が普通に仕事をしている。

元々日本も太陰暦であったが、明治初期に太陽暦に切り替えた。太陰暦が月の満ち欠けを基準にしているのに対して太陽暦では太陽の動き、もとい地球の公転を基準にした暦であるのは今更言うまでもなかろう。

とは言え、月の満ち欠けも地球の公転周期も実際には綺麗に割り切れる数字ではない。従ってどちらの暦であってもその僅かなズレが積み重なると暦と現実が食い違ってしまう。従って何らかの修正が必要になる。

太陰暦の場合は「閏月」なるものが登場するのがそれである。概ね3年毎に1月閏月が入る事になるのだが、何処に入れるかと言うのもまた「置閏法」なる法則があって少々ややこしい。

太陽暦の場合は「閏年」、則ち2月29日だ。4年に一度1日増える…のではなく正確には400年に97回である。実は西暦の数字が「100で割り切れるが400で割り切れない」年は夏期オリンピックは開催されても閏年にはならないのだ。

我々は生まれた時から太陽暦を前提に生活しているからそう感じるに過ぎないのかも知れないが、太陰暦より太陽暦の方が判り易い。だが、だからと言って「太陽暦の方が太陰暦より優れた暦」と言う訳ではない。イスラム教の国では太陰暦ベースの暦が一般的だと言うし、日本でも農業や漁業では太陰暦の方が便利な事もあると言う。要は一長一短だ。

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太陽暦導入の歴史

さて、記事は《 明治維新を境に変化を迎えた。1872年、明治政府は近代化を名目として西洋式の太陽暦を採択し、陰暦の名節に休むことを禁じた。そのかわりに太陽暦の元日を名節(注:韓国での正月休みの名称)にした。国民の時間の観念を西欧式に変えるため、1年の始まりを太陽暦で祝うようにしたわけだ。太陽暦の元日が定着するまで数十年掛かったものの、明治政府は太陽暦を使用し続けた。日本がほかの漢字文化圏の国々よりも早く農業経済社会から抜け出し、近代化を実現していく中で、陰暦の概念はほぼ姿を消した。》と記している。まるで暦の変更が近代化成功の要因であるかのような書き方にも取れるが、明治維新前後の変革で最も特筆すべき点は「支配階級(武士階級)が既得権益を自ら放棄した」点であろう。大政奉還に始まり、藩籍奉還、廃藩置県、地租改正など…全て共通している点であろう。これが出来たからこそ日本はアジアで唯一近代化に成功したのだと言える。どうも「新年早々韓国人のズレた認識を見た」と言うのが率直な感想である。

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※未来からの警告w

裏を返せば同時期、支配階級が既得権益にしがみついていた朝鮮は近代化が出来ず、結局日本が併合する羽目になったのだが、この記事を書いた韓国人はそういう歴史を知らないらしい。だから逆恨みはしても歴史に学ばないのだな。そして現在に至ってもそう変わらないのが実情なのだろう。

韓国人が近代の歴史を学ぶのは結構な話だ。彼等なりの視点で明治維新以降の日本の近代化や列強入りの要因を考察してみるのも悪いことではない。だがそれが暦の変更だけで出来るなら誰も苦労はしないし、自国の恥ずかしい歴史も避けては通れない要素になる。問題は韓国人がその「自国の恥ずかしい歴史」にまともに向き合えるか、である。それでこそ彼らの言う「歴史を直視」する事なのだが、彼等には到底出来そうもない相談である。

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※韓国人がこう思っている限り歴史の真実には辿り着けない。