語り継ぐべき歴史・ペリリュー島の戦い

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※70年海底で眠り続ける零戦

今年2015年は大東亜戦争終戦から70年となる。そういう年であるが故に支那・韓国が嘘出鱈目捏造歪曲狂言歴史認識で日本を貶めようとする動きが活発になるのは容易に予想できる。だが、実際の日本軍は武士道精神を重んじる誇り高い軍隊であったのだ。産経新聞がそういう話を記事にしていた。

http://www.sankei.com/premium/news/150102/prm1501020030-n1.html
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パラオペリリュー島の概略図

記事はパラオペリリュー島の戦いについてのものである。ペリリュー島の戦い…昭和19年9月15日に米軍がこの島に上陸して、戦闘になった。同島の日本軍守備隊は1万1千人程だったが、米軍はその4倍以上の兵力、小銃8倍、戦車10倍、更に航空支援やら艦隊支援等含めれば文字通りの「桁違い」の戦力で攻め込んできたのだ。当初米軍は数日以内にペリリュー島を制圧出来ると楽観視していたうえ、指揮官は日本刀を戦利品として欲しがるなど余裕綽々だったという。
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ペリリュー島の戦闘経過図

しかし日本軍は島内の洞窟を利用して神出鬼没のゲリラ戦法で米軍を散々に苦しめた。あの硫黄島沖縄戦での日本軍の戦法のルーツはここにある。余談だが、この戦術はその後ベトナム戦争で元日本軍将校がベトナム兵に伝授したという。米軍にとっては鬼門も同然の戦法であった。

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ニミッツ提督の碑

米軍は第1次上陸作戦で第1海兵連隊の損害が54%に達し、第1海兵師団は撤収、第7海兵連隊も損害が50%を超えて戦闘不能に陥った。米海軍太平洋艦隊司令長官のニミッツ海軍大将に著書『太平洋海戦史』で、「ペリリューの複雑極まる防衛に打ち勝つには、米国の歴史における他のどんな上陸作戦にも見られなかった最高の戦闘損害比率(約40%)を出したと言わしめた程だった。恐らく今後も破られる事は無いであろう米軍の損害比率である。

日本軍は最終的に1万22人の戦死者と446人の戦傷者を出して玉砕したが、米軍も1684人の戦死者と7160人の戦傷者を出した。しかし、米軍にはこれ以外に戦闘の結果精神に異常をきたした兵士が数千人単位でいたと言う。因みに先述の日本刀を戦利品に欲しがった米軍指揮官は作戦途中で更迭され、本人も自軍の惨状を見て心臓病を発症したと言う…

だが特筆すべきはこれだけの戦闘であったにも関わらず民間人の死者が0であると言う事だ。少なくとも公式記録上はそうだ。パラオにはこんな伝承があると言う。

〈ある島民が一緒に戦いたいと申し出ると、守備部隊の中川州男(くにお)隊長に「帝国軍人が貴様らと一緒に戦えるか」と拒否された。日本人は仲間だと思っていた島民は、裏切られたと思い、悔し涙を流した。しかし、船が島を離れる瞬間、日本兵が全員、浜に走り出て、一緒に歌った歌を歌いながら手を振って島民を見送った。その瞬間、この島民は、あの言葉は島民を救うためのものだった-と悟った〉

平成21年から25年まで駐日パラオ大使だったミノル・ウエキ氏(83)は言う。
日本軍は、ペリリューの島民を全員、疎開させることで保護してくれた。だから島民に死傷者は出なかった。日本軍への感謝は何年たっても忘れない

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※歴史の真実を語るとこの様に修正される…そうだ。

仮に先の伝承に多少の脚色があったとしても、日本軍が戦闘前にペリリュー島の島民を疎開させたのは事実なのだろう。日本軍が如何に武士道精神を持っていたかが窺い知れる。こういう高貴な精神を持った軍は間違っても非戦闘員を虐殺などはしまい。もっとも南京大虐殺だなんて嘘出鱈目捏造歪曲狂言を信じていたり、こういう話を「侵略戦争の美化」だと捉えるような愚かな思考回路の持ち主にはそういう歴史の真実を理解する事は出来ないだろうが。
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※真に武士道精神を持っている人の台詞。
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※日本軍は死者は敵味方関係なく弔った証拠写真。墓碑銘を見れば明らか。

…戦後70年という節目の年、歴史の真実を明らかにして、支那・韓国の嘘出鱈目捏造歪曲狂言歴史認識を葬り去るのはこの戦争で命を落とした先人達に対する後世に生きる我々の義務ではあるまいか。現在の日本は英霊となった先人達の犠牲の上に成り立っている。これは否定しようのない事実だ。故に安倍首相には予定されている安倍談話で過去の村山談話河野談話の誤りを正し、その上で堂々と靖国神社に参拝して頂きたい。