安保法違憲訴訟に意味はない。

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安保法が成立しても反対派は諦めないのか?毎日新聞が長々違憲訴訟について語っている。
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151004-00000002-maiall-pol

「安保法が憲法違反だ!」と訴訟を起こしてもまず真っ先に挙げられる問題は「日本の裁判制度における違憲立法審査権は具体的事案に付随して行使される」と言う点だ。これは日本の裁判所には「憲法裁判所」としての機能は無いことを意味する。故に単純に「違憲確認訴訟」を起こした所で「訴えの利益なし」として却下されるのがオチであろう。

かつて日米安保条約が締結された際、左翼活動家の男が最高裁日米安保条約違憲である。」としてイキナリ訴状を提出した、と言う事件もあったらしい。…その結果が当然ながら「門前払い」であった事は言うまでもない。
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※この問いに安保法反対派は知らん顔出来る、と答えるのだろう。血も涙も無い様だ。


安保法制の違憲性を裁判所に問うのであればそれによって具体的に原告の如何なる権利が侵害されたのか?原告に如何なる具体的な損害が発生したのか明確に出来ないと裁判では話にならないのだ。そこで原告が「侵害された権利」とするのが「平和的生存権である。この権利は「人として平和の中で生きる権利」とでも考えて頂ければ差し支えなかろう。言い換えれば「戦争に巻き込まれない権利」とでもなろうか。

不肖筆者としてもこの権利の存在を否定するものではないこの権利を認めた判例も事実ある。だがこの「平和的生存権」の根拠は?と言うと、憲法前文の「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と言う一節や、9条、又は13条の幸福追求権を根拠にしているとされている。各条文を根拠に、と言う主張はまだ理解できるが、実は憲法前文を根拠に権利を主張できるのか?と言う論争が実は法曹界には存在しており、これには意外にも否定的な意見が多いのである。

そもそも憲法前文に何らかの権利の法的根拠を認める、と言うならば安保法も憲法前文の「 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって」と言う一節を根拠に集団的自衛権行使を合憲、と言う解釈も出来てしまうのである。反対派には痛し痒しであろう。

平和的生存権」を「戦争に巻き込まれない権利」と解釈して、それを根拠に「集団的自衛権違憲」と言う主張には「集団的自衛権行使で戦争に巻き込まれる」と言う前提が存在する事になる。これこそ集団的自衛権行使容認反対派の主張の核心であると言えるが、それをどう立証すると言うのか?幾ら集団的自衛権行使が容認されたと言っても日本や在日米軍何らかの武力攻撃が発生しない限りそれを行使する機会は永遠にやってこない。つまり安保法が運用されても戦争が起こらなければその主張が誤りである何よりの証明になってしまう。…と、なると反対派は戦争が起こる事を望んでいるのか?「平和的生存権」を口にする者がその主張の正当性を戦争勃発でしか証明出来ないのは壮大な皮肉でしかない。そしてそれ以上に世界の「集団的自衛権」その物に対する考え方も変化している、と言う事実も見逃してはならない。 かつて韓国がベトナム戦争に「共産主義に対する集団的自衛権発動」と言う口実で参戦した例がある。安保法反対派の懸念そのものの集団的自衛権行使の悪例である。だが、これは40年前のロジックであり、現在ではニカラグア事件」に於ける国際司法裁判所の判決で「集団的自衛権の行使要件」に「攻撃を受けた国からの表明」及び「救援要請」と言うのが判示されている。従って集団的自衛権発動の際に「戦争が始まる」のではなく「既に始まっている」のである。未だに集団的自衛権で戦争が出来る様になる」等と言っているのは過去の遺物と化したロジックを主張しているに過ぎない。例えて言うならこれから新たにPCを買おうとしている人間にX68000(!)」や「MSX(!!)」を推奨する(ふ、古すぎる!)に等しい愚行である。
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※世界の反応を見て反対派はどう思うのか?

また憲法98条2項の政府解釈では?「国の存廃に関わる条約については、(憲法より)条約が優位する」となっているが、例えばサンフランシスコ平和条約5条を見ると(c)に日本が個別的・集団的自衛権を保持している事、また日本が自発的に他国と集団安全保障体制を締結できる旨が明記されている。
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このサンフランシスコ平和条約が戦後日本の主権回復の根拠となった経緯や日本での法体系内での運用の実情を考慮すれば憲法に匹敵する重みがあるとも言える。日本の領土に関する規定はこの条約が根拠になっているのだ。「国の存廃」の「存」に関わるのは明白である。だとすれば憲法違反か否か?等と言う問題は一瞬にして雲散霧消してしまう。要するに議論する意味が最初からないのだ。不毛な論争よりも現実的な安全保障を議論する方が明らかに有益である。反対派は批判だ反対だ、の前にもう少し広い視野で物事を考察するべきである。
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※反対派のロジックがこんな愚劣で幼稚では話にならない。
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※反対派には正しく当てはまる。