天才数学者と発明王と掛け算を予習した児童

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ちょっと前のネタではある。記事にしようとしたがその他のネタを優先して御蔵入りしていたのだが、やはり書かずにはいられなかった…

http://91360893.trene.jp/archives/3921
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※これは児童を褒めるべきであって、その予習の成果を認めるべきである。

小学校の算数の問題で画像の様な問題が出て、ある児童が

8×7+17=73

と言う計算式で解答したところ、何故かバツ

児童の母親が学校に問い合わせた所、

「掛け算をまだ習っていないから習うまで使用禁止」

との回答だったとの事。

(8+8+8+8+8+8+8)+17=73

と計算するべき問題だった、と言うのだ。

…狂っている。こんな教師に教師たる資格はない。この教師はこの対応について「教育の公平性」を理由に挙げたそうだが、そんなものは詭弁に過ぎない。

学校の授業は公平であって当然だが家で自分で予習するのは自由の筈だ。その結果を認めないと言うのは予習の否定でしかない。それが教師のやる事か?こんな対応をされた児童が勉強意欲を無くしても不思議はない。そうなったら教師は責任を取れるのか?不肖筆者だったら逆にこの児童を褒めるであろうし、筆者の子供がこんな対応をされたら間違いなく学校に乗り込むであろう。
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※稀代の天才数学者ガウス。周囲の環境にも恵まれていた。

天才数学者と言われたガウスにこんな話がある。

ガウスがまだ小学生の頃、算数の授業で教師から「1から100までの全ての数字の和を計算せよ」と言う問題を出されたが、ガウスは即座に

(1+100)×100÷2=5050

と、計算して教師を驚愕させたと言う。同様の問題を出された他の子供が律儀に

1+2+…+100を頭からヒーコラ言いながら計算していた事は言うまでもない。そして間もなくその教師は

「この子に教える事はもう何もない」

と、脱帽ものだったと言う。
更に小学校の校長もガウスの数学の才能に着目して自費でより高度な数学の本を与えたそうだが、ガウスはそれもあっさり読破、習得してしまい、校長も同様に脱帽ものだったと言う。

天才数学者ガウスと先の児童を同列に語るのは児童には酷な話かも知れないが、重要なのは教師の対応である。ガウスの場合はその才能に気付いた教師がそれを伸ばす対応を行った。ガウスの才能からすれば小学校の校長も教師も大した内容を教えられた訳ではないのだろうが、天才数学者ガウス誕生の一助にはなったと言えるだろう。

先の児童の場合、その児童がガウス並みの才能があるのかはさておき、逆に教師が児童の才能の芽を摘む真似をしでかした事になる。小学2年生で掛け算を自力で習得したなら大したものである。筆者は掛け算九九を覚えるのに教師どころか親の助けも借りて習得した程である。教師は何故そこに気付かず、児童の可能性を潰す真似をしでかすのか理解不能である。これでは学校は愚民養成所ではないか。それは「教育」の名に値しない。
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※発明王エジソン。学歴は驚くなかれ「小学校中退」である。

この教師の様に「教育の公平性」を曲解しているのではまともな人間教育など期待出来ないであろう。発明王エジソンは小学校時代、様々な事に好奇心や疑問を持っていたそうだ。しかし教師がそんなエジソンの思いを理解せず、結果エジソンは3ヶ月で退学する事になる。しかしエジソンを理解してくれていた母親がいたからこそ、エジソンは自分で色々行って自分で学事が出来、その後数々の業績を残す事が出来たと言える。

子供の可能性を伸ばすのも潰すのも周囲の大人達によるものが大きいのは今も昔も変わらないであろう。少なくとも学校に児童の可能性を潰す教師はいてはならない。改めてそう思わせてくれる話であった。