ジャーナリズムの本質とは?~「阿比留瑠比の極言御免」より
※「ジャーナリズムの本質」を理解していない連中。
「ジャーナリズムの本質」とは何か?と言うことを考察させてくれる今週の「阿比留瑠比の極言御免」である。
http://www.sankei.com/smp/politics/news/160428/plt1604280003-s1.html
元外交官で立命館大客員教授の宮家邦彦氏によれば在京の外国特派員らに
「ジャーナリズムの本質とは?」
と言う件で意見を求めたところ、「権力の監視」説は少数派で、多数派の見解は「事実を可能な限り客観的に伝えること」だったと言う。ジャーナリズムに「権力の監視」と言う役割があるのは不肖筆者も否定するものではないが、
「ジャーナリズムの任務は、相手が権力であれ、非権力であれ、自らが事実だと信じることを人々に伝えることが第一であり、『権力の監視』はその結果でしかない」
と言うのが宮家氏の結論であると言う。
※所詮は似非ジャーナリズム。
不肖筆者もその通りであると思う。如何なる権力であれ、功罪と言うのは存在する。あの「悪夢の民主党政権」だって功績はある。例えば「『首相なんて誰がなっても大差ない』と言う一部で囁かれていた話が完全に間違いだと証明した」とか、「無能なマヌケを首相にすると国が危うくなる」とか、「無責任なマニフェストを信じると自分にそのツケが回ってくる」とか…
「権力の監視」と称して「罪」ばかり探して「功」を見落としたり、気付かない、と言うのでは「ジャーナリズム」として本末転倒ではないのだろうか?…尤も知っていても「報道しない自由」とやらで政権の「罪」ばかり追いかけて「功」を隠す似非ジャーナリズムは残念ながら存在するのだが。…誰とは言わないけど朝日新聞とか、TBSとか、それらの系列とか…
※こういうの、報道しているのか?
連中に限らずマスコミは自身に都合の悪い事は「報道しない自由」を濫用する。例えば東日本大震災の際に、電力不足の問題が発生し、「計画停電」による迷惑を被った読者様もおられるかもしれない。実はこの時野村総研が「TVを消す事で得られる節電効果はエアコンの1.7倍」と試算していたのだが、TV局がそれを報じる事はなかった。それどころかTVでは当時「節電で効果的なのはエアコンを切る事」等と紹介していたが、そのせいでどれだけの人が夏に酷暑で苦しんだ事か。それどころか酷暑でもエアコンを入れずに我慢して熱中症にでもなっていたら目も当てられない。マスコミの「報道しない自由」による弊害の実例である。
米国のジャーナリズム界の長老と呼ばれ、20世紀最高のジャーナリストとたたえられたリップマンは、この様な指摘をしていると言う。
「ジャーナリストは自分が主観的なレンズを通して世の中を見ていることを知っている」
※ベストセラーなのにマスコミは取り上げない。
※自身に都合の悪い事は報道しないマスコミの例。
この言葉を念頭に日本のジャーナリストの言葉をここに挙げてみると如何に愚劣な事を言っているかは明白である。
「時の権力、時の政権に対して、いかにそれをウオッチするか、どこが間違いかを厳しく追及するのがマスコミの役割だ」
(田原総一朗:3月24日日本外国特派員協会での会見で)
「何よりも真実を伝え、権力を監視するジャーナリズムの姿勢を貫くことがますます重要」
(岸井成格:3月25日TBS番組)
…この連中がリップマンの爪の垢を煎じて飲むべきなのは言うまでもなかろう。
※日本の腐ったジャーナリストの姿。
※こういうのをキチンと報道してから物を言え。
「事実を正確に伝える事」も「公平中立」も「政権批判」と言う意味ではない。それが理解出来ないこの連中は「ジャーナリズムのいろは」も知らない「似非ジャーナリスト」でしかないと言っても過言ではないだろう。ジャーナリズムに「権力の監視」と言う役割は否定しないが、それはあくまでも結果論であって目的ではない。そしてそれ以上に「監視する側が監視される側より腐っているのでは意味がない」のである。
※こういうのを自浄出来ないマスコミは「マスゴミ」でしかない。