避けては通れない安全保障に関する議論

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※安全保障の議論は避けては通れない。

安倍首相は憲法9条改正に関してTV番組で

「これからもずっと後回しにしてよいのか、思考停止している政治家、政党に考えてほしい」

「政治家がやらなければならない仕事は沢山あるが、(憲法9条の改正を)ずっと後回しにしてきた」

「もっと憲法審査会で活発な議論をするべきだ。指1本、触れてはならないという考え方はおかしい」

「今を生きる政治家として責任を放棄している」

「国民も憲法をどう考えるかについて、まだ1票を投じるチャンスを与えられていない」

等と述べて「議論する」必要性を訴えた。

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http://www.sankei.com/politics/news/160429/plt1604290033-n1.html

不肖筆者は憲法9条改正賛成派なので安倍首相のこういう発言は当然ながら共感する。そもそも「憲法を改正してはならない」なんて考えそのものがおかしいと思っている程だ。現在の憲法を筆頭にした日本の法体系は「完璧」であると断言できるだろうか?「完璧な法体系」なるものが最初から存在しないとするなら答えは当然「NO」である。しかし「完璧な法体系」が存在しないと言ってもそれに近づく努力はあって然るべきであるし、そもそも法を作るのが国会の役割でもある。その意味では安倍首相の指摘は間違ってはいないだろう。現在の憲法を筆頭にした法体系が「完璧である」と胸を張って言える人は果たしてどれだけいるのであろうか?
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※こういう現実に憲法9条は無力である。

憲法前文には

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」

とある。国際法上明白な日本領土である北方領土竹島を不法に占拠しているロシアや韓国、そして尖閣諸島に侵略の刃を向ける支那の一体何処に憲法前文が言う「信頼するべき公正と信義」があるのか?憲法改正に反対するのであれば先ずはここを明確にして貰いたいものだ。

米太平洋軍のハリス司令官は、尖閣諸島に関して支那が日本を攻撃してくれば、

「米国は間違いなく、日本を防衛する」

と述べたが、一方で

「米軍が尖閣の防衛義務を果たすからといって、日本が自らの努力を怠れば、米軍が出動する前提が崩れるということだ」

とも述べている。日米安保だ何だと言っても日本の安全は先ずは日本自身で守らなければ話にならないのだ。それを明確にする事の一体何が悪い?

そういう前提を欠いた状態では日米安保が機能麻痺に陥るのは民主党政権で既に実証済みであるとも言える。同じ愚を繰り返す意味があるのか?

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※これを黙認する意味が何処にあるのか?

政治家が取り組むべき課題と言うものは他にもある事は間違いない。例を挙げればキリがない程だが、それらの課題も「日本が独立国家として存在する」事が前提である。その前提が崩れてしまえばそれらを考える意味すらない。安全保障はそういう意味では「一丁目一番地」である。机上の空論ではなく、現実的な対策を各政党間で議論されるべきである。それでも理想論に拘り、現実を顧みない政党の政策に耳を傾ける価値があるのか?有権者として考えるべき点でもある。

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※コレが現実なのである。