朝日新聞や毎日新聞に報道機関としての資格はない。

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党首討論大いに結構、だが、朝日や毎日では「真実」は伝わらない。

8日も日本記者クラブ主催で「党首討論会」が行われた。それ自体は大いに結構な事だが、問題はその後の安倍首相への質疑応答で発生した。


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産経新聞の阿比留瑠比記者の様な「心ある」記者の目から見ると所謂「モリ・カケ騒動」に関する朝日新聞毎日新聞の質疑応答は

「異常なもの」

と写った様だ。


やり取りは文字起こしされている。
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※安倍首相は勿論朝日新聞にも目は通している。

既にその「ファクトチェック」は行われている。その結論は…

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※並べてみると朝日や毎日の異常性が際立つ。
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朝日新聞、反論あるの?これでどう「胸を張れる」のか?

加計学園の件で行われた閉会中審査、最初に加戸前愛媛県知事参考人として出席したのは7月10日だった。上記画像は翌日の新聞を対象にしたものだが、朝日新聞毎日新聞は加戸氏の発言を一般記事では取り上げていない。しかもこの日出席した3人の参考人のうち、加戸氏の発言「だけ」取り上げていないのは「意図的」と断じる他ない。つまり朝日新聞は首相に対して

「平然と嘘を吐いた」

訳だ。少なくとも朝日新聞にとってはコレは日常茶飯事なのだろうが、

「真実の追求より自分達の描いた『絵』に沿うかどうか」

を重要視する姿勢を「ジャーナリズム」と言えるのだろうか?そうだと言うなら朝日新聞の見識は世間の常識と著しく乖離している、と結論できる。ジャーナリズム以前に「世間の常識」をまずは身に付けるべきだろう。
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※朝日や毎日の記者連中の事だ。連中は「ジャーナリスト」ではない。

毎日新聞も「同じ穴の狢」でしかない。重篤郎とか言う毎日新聞の記者

重篤郎とやらは「記者としての矜持」以前に「人としての礼儀」を先ずは身に付けるべき、と言うレベルの低い輩」に過ぎなかった、と言う事だ。朝日新聞の坪井ゆずるとか言うのもそうだが、朝日新聞にしろ、毎日新聞にしろ、「総選挙」と言う最大の政治案件で、それも党首討論が行われた後の、現職首相に対する質疑応答にこんな程度の記者しか出せない、と言う時点で

「総選挙を報道出来るレベルの言論機関ではない」

自ら証明した、と言うのが「その結果」である。系列のTV局のしている事も同様だ。


勿論こんなのは「報道」でもなければ「言論」にも値しない。精々「雑音・騒音」の類でしかなく、それらの「雑音・騒音」で他人に「迷惑をかける自由」など日本には存在しない。かつて騒音おばさん」なる迷惑おばさんが立件される、と言う事件があった様に「雑音・騒音」だって「度を越した迷惑」が明白であれば取り締まりの対象になり得る。朝日新聞毎日新聞の自称「論説」など「そんなもの」でしかないのだから

「そういう扱い」

でも構わないだろう。しかもテーマが「総選挙」と言う国家国民の「先行き」を左右する「重大なテーマ」であるのだから尚更だ。TV朝日に至っては「椿事件」という「前科」まである。信用など

「出来る筈もない」

と、なるのは当然だ連中は「失われた信用」を取り戻す「何か」をしたのだろうか?

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※朝日や毎日の理屈は通用しない。

報道の自由」やそれに基づく「編集権」を理由に朝日新聞毎日新聞は「自分達の正当性」を主張するのだろうが、そういう「新聞社の権利や自由」と総選挙を控えた現在の状況下で政治問題に関する「国民の『知る権利』」とどちらが

「『公共の福祉』の下で優先されるべきか」

考えれば答えは「自明の事」である。加計学園の件に関して「安倍首相が友人の理事長に便宜を図った」どんな証拠がある、と言うのだろうか?「ある」と言うならそれを基に口を開くべきだし、「ない」と認めるならこの話はそこで「おしまい」である。「証拠はないがそうに違いない」と言う朝日新聞毎日新聞の姿勢

「子供の我儘」

と同じだ。駄々捏ねる前に真実に自分達で行き当たれ。それが出来ないなら間違いを認めて謝罪せよ。簡単な二者択一だ。それから逃げるなら「言論機関としての矜持」も置いていけ。「誹謗中傷」が「言論の自由」の隠れ蓑になってはいけない。
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※「モリ・カケ」では安倍首相を退陣には追い込めないといい加減悟れ。