狂気の朝日新聞スラップ訴訟


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朝日新聞はまたしても

「報道機関として『越えてはならない一線』」

を越えてしまった様だ。

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文芸評論家・小川栄太郎氏の著書

「徹底検証『森友・加計事件』 朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪」

に対して朝日新聞名誉毀損などとして「5000万円の損害賠償」等を求める訴えを東京地裁に起こした。同書はそのタイトルが示す通り、森友・加計学園に関する朝日新聞の一連の報道を「捏造」「報道犯罪」等と厳しく批判している。

これに対して朝日新聞は当初小川氏に抗議したが、小川氏はそれに対する反論で朝日新聞に対し、公開討論を申し入れていたのだが、それに対する朝日新聞の返答は「訴訟」だったと言うのが事の顛末である。

当の小川氏はFacebook

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と、徹底的に争う姿勢を鮮明にしている。

森友学園の件も、加計学園の件も最初の報道は朝日新聞だった。その報道姿勢は?と言うと、森友学園については

「安倍首相の夫人が開設申請していた小学校の『名誉校長』だったから便宜を図って当該小学校の敷地を『異様に安くした』」

また加計学園については

加計学園の理事長が安倍首相の永年の友人だったから便宜を図ったのではないか?」

と言うアヤをかけて報道し、それに乗っかる形で野党も国会で果てしなく無駄に追及を行ってきた。

記事にする、それも現職首相に関する疑惑として報じるならば「裏を取って」報道するのは当然だが、今に至るまで「安倍首相の関与」や「安倍首相が便宜を図った」と言う客観的な証拠は「何一つとして」出てきた試しはない。国会論戦でさえ「なかった事を証明しろ」と「悪魔の証明」を堂々と厚顔無恥にも要求する始末だった。そんな体たらくで「疑惑」として追及・報道し続ける事の方が異常なのだが、これについては日刊ゲンダイが見事な援護射撃をしている。

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朝日新聞論説委員高橋純子とか言うのが書いたコラムをまとめた本の紹介で

エビデンス? ねーよそんなもん〉

〈『レッテル貼りだ』なんてレッテル貼りにひるむ必要はない。堂々と貼りにいきましょう〉

等と言う発言を平然と取り上げているのだ。新聞記者としては明らかに「その職分」に反した言動だが、それを「平然と行い、それが罷り通る」のが朝日新聞、と言う事らしい。


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そんなおかしな報道体質の新聞社だから過去に「珊瑚落書き捏造」「慰安婦問題捏造」「南京大虐殺捏造」「吉田調書曲解歪曲捏造」と言った報道犯罪を数多く犯してきたのだろう。そういう数知れぬ「前科」があるからこそ朝日新聞は世間から信用を失い、厳しく批判される事になるのだが、この腐れ新聞社もどきにはそれらに対する「反省」は皆無なのだろう。だから同じ過ちを繰り返すのだ。

この訴訟における朝日新聞の狙いは明白である。この手の「スラップ訴訟」で自身への批判を封殺する事、そして「勝訴」と言う結果で「自分達の記事が真実である」と認めさせる事である。裁判になれば当然「朝日新聞の記事の信憑性」が問われる事になる。立証責任は当然朝日新聞サイドが行うべきものだが、法廷で立証出来るなら「何故今までそれを伏せていた?」と言う事になる。つまり朝日新聞の記事は

「裁判所の事実認定でのみその信憑性が担保される」

程度の代物でしかない、と言う事に等しい。それを「ジャーナリズム」と呼べるのだろうか?

朝日新聞は訴状で

「本社が入手した(総理の意向)文書に『総理の意向でないことが分かってしまう部分』はなく、これを隠蔽した事実はない」

と、しているが、その言い分が「嘘か真か」は以下の画像を見れば明らかである。

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朝日新聞は文書の一部に影を付けて意図的に「全文が読めない仕様」にして報道した。だが、件の文書の全文は既に明らかになっている。それを読めば

「総理からの指示」

に「見せようとした」と言う文書作成者の意図が読み取れるが、そうするのは

「総理からの指示はなかった」

からこそ「そうする必要があった」事を意味する。その肝心な部分に触れず報道するのは

「何らかの意図があって」

の事ではないのか?朝日新聞?そうする事を「隠蔽」、文書の一部を切り取って自分達の主張に沿うように悪用する事を「曲解歪曲」、そうやって記事にする事を「捏造」と、世間一般では言うのだが、朝日新聞は知らない様だ。

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言論機関なのに言論に言論で対抗出来ない時点で「どちらに『理』があるか」は論を待たないだろう。裁判でもそういう「常識的な」判断がされるもの、と考えたいが、相手が朝日新聞だけに油断は禁物だ。本当の意味での「言論の自由」「表現の自由」を守る為にも小川氏を全面支持すべきだ。これ以上朝日新聞をのさばらせてはいけない。裁判で負けた所を叩いてこういうふざけた真似が永遠に出来ないようにしなくてはならないのである。