国会の品格を貶めているのは国賊野党の存在そのものだ。
先日の横畠内閣法制局長官の発言、8日に参議院予算委員長が「遺憾の意」を表明し、更に「厳重注意」と言う事態に発展した。本人の謝罪、発言の撤回は既に行われている事を理由に「これで決着」としたい与党側と「あくまで辞任を求める」国賊野党とのせめぎ合いはまだまだ続きそうである。
そもそもの発言のきっかけは
と、言う小西洋之の発言である。日本は議員内閣制を採用しているので、内閣の存立は「国会の信任」が前提になる。その原則論、と言う意味では小西洋之の発言は間違いないのだが、その理屈で行けば憲法上「全国民の代表」である国会議員への国民の「声」は
「国会議員への監督行為」
と言う側面を持ち得る事になる。小西洋之はTwitterに寄せられるその国民の「声」に対して「ブロック」と言う形で対応する事の多い人物だ。他人に大層な事を言ってる割に本人はまるでそれが出来ていない。そういう「自己矛盾」「ダブルスタンダード」が国民に見透かされているからこそ、小西洋之は多くの国民から「バカにされる」結果となっているのだが、その意味を本人は全く理解していない。実に「おめでたい」オツムの持ち主である。
参議院予算委員長が横畠長官を「厳重注意」したのは国賊野党への「配慮」と言う側面もあるだろう。委員長の立場では「円滑な議事運営」の為には野党の協力も欠かせない。例え横畠長官が陳謝し、発言を撤回して世論が納得しても野党が納得しなければ「審議拒否」される事になる。国賊野党を無視して与党と維新だけで審議を進める事も不可能ではないだろうが、それをやって批難されるのは委員長自身となる。そういう事態は避けたい、と思うのは当然で、「やむを得ない」部分もあるが、そういう対応が「国賊野党の増長」を招き、「国会の品格の低下」の原因になっている事は忘れてはならない。
「国会が国権の最高機関」なのは憲法にも明記されている事だが、だからと言って官僚に対して「上から目線」でモノを言ったり、総理大臣に対して根拠や証拠もないのに憶測で追及し続けたりする権利がある訳ではない。また、他者の人格を攻撃したりする権利がある訳でもない。勿論「他者から批判されない」特権がある訳でもないが、国賊野党はその意味を勘違いしているか、濫用しているか、のどちらかである。