文在寅への警告コラム


※コイツにはそれは理解出来ない事。

中央日報が中々面白いコラムを掲載していた。


朝鮮史で「15世紀最高の外交官」と言われているらしい申叔舟、また「懲毖録」なる朝鮮出兵の記録書を残した成龍なる人物が

「日韓間の永遠の外交方針」

を残していた、と言うのだ。文在寅には自称元慰安婦金福童の弔問の際に述べた

「歴史を正す」

と言う言葉をこの2名にも述べるべきだと主張している。

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※アンタにゃそんな器量はない。

「懲毖録」は豊臣秀吉朝鮮出兵の記録で、韓国では国宝に指定されているらしい。著者の柳成龍は当時の高官だと言うから「朝鮮出兵の朝鮮側からみた記録」と言う意味でも価値はあるだろう。それによると

「戦争責任の相当な部分が朝鮮にある」

と主張しているのだと言う。また、この書で申叔舟の遺言を引用しているのだそうだ。その内容は

「我が国は日本との和平を失うべきでない」

だ、そうだ。申叔舟は著書「海東諸国記」で日本をこの様に評していると言う。

<交隣と聘問は風俗が他国を慰めて応接することであるため、必ずその実情を把握してこそ礼を尽くすことができ、その礼を尽くした後でこそ誠意を尽くすことができる…。(日本は)習性が強く、荒く、武器をうまく扱い、船に乗ることに慣れている>

要は「相手の実情を理解して初めて礼儀や誠意を見せる事が出来る」と、言う意味にでもなるのだろうが、現在の韓国が日本の事をどれだけ理解して「反日」に走っているかを考えればこれらの先人の言葉が「まるで活かされていない」のは明らかであろう。

相手を理解しようとするどころか学術的なアプローチでさえ受け入れず、唯一の判断基準は

「自分達のストーリーに適合しているか否か?」

である。15世紀と21世紀とでは国際情勢や技術など大きな差があるものの、韓国人の日本を見る目は寧ろ「劣化している」と言える。「相手の実情を理解する」以前の問題として

「自分達の事すらまともに判っていない」

と言える。

韓国人に限らず誰だって「自分達の不都合な歴史」から目を背けたくなるのは当然かもしれないが、「歴史を語る」にはそれらを避けて通る事は出来ない。そこに気付かなければ韓国がこの先、対日外交で日本からどの様な仕打ちを受けたとしてもその意味を理解する事は出来ないだろう。「恨む」だけが能ではない。コラムが指摘している様に600年も前の先人が「何故その様な言葉を遺したのか?」文在寅はその意味を考えるべきなのは論を待たない。

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※その道理は戦国の世でも現在でも変わらない。

もし米国の東アジア防衛ラインで韓国を除いた新アチソンラインが引かれれば、解放後70年間ほど自由主義文明の中で我々が成し遂げた発展は水の泡となり、死よりひどい隷属の道を歩くこともあり得る。戦争の可能性を1%でも低めたければ、反日感情というパトスが国際法というノモスを犯すようにしてはいけない。>

と、コラムが危惧する事態は眼前に迫っている。現状のままではそうなっても何ら不思議はない。秀吉の朝鮮出兵の際も朝鮮側は兵火の危険性を見抜けなかった金誠一の意見を採用してその判断は裏目に出た。日本が武力で韓国を制圧する事はないが、同様の判断ミスを文在寅が繰り返そうとしている、と言う点では「歴史は繰り返す」を実践しようとしている、と言える。韓国の為に言うのであればこのコラム、決して無視してはいけない、と言えるが文在寅にそれを受け入れる器量があるか?それが問われていると言えるだろう。