文在寅への警告コラム
「日韓間の永遠の外交方針」
「歴史を正す」
と言う言葉をこの2名にも述べるべきだと主張している。
「戦争責任の相当な部分が朝鮮にある」
と主張しているのだと言う。また、この書で申叔舟の遺言を引用しているのだそうだ。その内容は
「我が国は日本との和平を失うべきでない」
だ、そうだ。申叔舟は著書「海東諸国記」で日本をこの様に評していると言う。
<交隣と聘問は風俗が他国を慰めて応接することであるため、必ずその実情を把握してこそ礼を尽くすことができ、その礼を尽くした後でこそ誠意を尽くすことができる…。(日本は)習性が強く、荒く、武器をうまく扱い、船に乗ることに慣れている>
要は「相手の実情を理解して初めて礼儀や誠意を見せる事が出来る」と、言う意味にでもなるのだろうが、現在の韓国が日本の事をどれだけ理解して「反日」に走っているかを考えればこれらの先人の言葉が「まるで活かされていない」のは明らかであろう。
相手を理解しようとするどころか学術的なアプローチでさえ受け入れず、唯一の判断基準は
「自分達のストーリーに適合しているか否か?」
である。15世紀と21世紀とでは国際情勢や技術など大きな差があるものの、韓国人の日本を見る目は寧ろ「劣化している」と言える。「相手の実情を理解する」以前の問題として
「自分達の事すらまともに判っていない」
と言える。
韓国人に限らず誰だって「自分達の不都合な歴史」から目を背けたくなるのは当然かもしれないが、「歴史を語る」にはそれらを避けて通る事は出来ない。そこに気付かなければ韓国がこの先、対日外交で日本からどの様な仕打ちを受けたとしてもその意味を理解する事は出来ないだろう。「恨む」だけが能ではない。コラムが指摘している様に600年も前の先人が「何故その様な言葉を遺したのか?」文在寅はその意味を考えるべきなのは論を待たない。
<もし米国の東アジア防衛ラインで韓国を除いた新アチソンラインが引かれれば、解放後70年間ほど自由主義文明の中で我々が成し遂げた発展は水の泡となり、死よりひどい隷属の道を歩くこともあり得る。戦争の可能性を1%でも低めたければ、反日感情というパトスが国際法というノモスを犯すようにしてはいけない。>