日米間の人種意識の差

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※問題の本質はそこだけではあるまい。

アメリカで白人警官が黒人の青年を射殺したものの、不起訴となったことでこれに抗議する人々が暴動を起こす騒動となっているのは読者様も周知であろう。

大統領自ら演説で冷静な対応と事態の沈静化を呼び掛ける事態となっているが、これについて「犯罪行為」と非難する一方で「日本のように国民の大半が日本人という国では、このような問題は起こりにくい」と述べ、多様な人種が集まるアメリカならではの社会問題だと指摘した。



このオバマ発言、いろんな意味で違和感を持った方がいるようだ。不肖筆者もその一人である。この発言だけを取ればあたかも単一民族国家は暴動と無縁であるかのようにも受け取れるが、正確には日本も単一民族国家ではないし、このアメリカでの事件の根底には未だに燻る人種差別問題の方が本質ではないかと思う。

日本人が暴動を簡単に起こさないかと言うと、少なくとも戦前はそうでもなかったのではないか。例えばポーツマス条約に反対する群衆が起こした日比谷焼き討ち事件やら、米騒動など、日本人だって怒れば暴動を起こした例はある。
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※日比谷焼き討ち事件の集会模様。
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米騒動で破壊された会社。

アメリカと違って日本では秀吉の刀狩以降基本的に武器と言うものは支配する側のみが持っていた。(為政者にとってこれ程支配しやすい状況はないだろう。)江戸時代では武士、明治以降では警察や軍、戦後は自衛隊位なものである。日本の治安の良さの理由はこういった点にそのルーツがあるのかもしれない。それに対しアメリカは現在でも一般市民が銃を簡単に入手出来る。同じ民主国家でも一般市民が簡単に武器を手に持てるか否かと言う点や、その国の民度と言った要素も大いに関係するのではないか。日本を引き合いに出すならそういった違いも認識して貰いたいものだ。
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※戦国の頃は農具を武器にしてでも戦おうとした。


筆者にとってもこの点で興味深く感じたのは1954年版「ゴジラ」である。同作でゴジラが最初に出現する大戸島ではゴジラ出現の報で出てきた一部の島民の手にはライフルやら刀などの武器が何故か握られているのである。
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※武器を手に持った人が確認出来る。

またその後ゴジラが東京を蹂躙し、勝鬨橋を破壊した直後に戦闘機が駆け付け、ゴジラにミサイル攻撃を行うのだが、ここで周囲にいた群衆は「やっちまえ、そこだ、やっちまえ」と、鼻息荒く喝采を叫ぶ。考えて見ればこの映画の出演者や製作関係者の殆どが戦争を体験しているのである。こういう演出はそのせいか。因みに後年の同シリーズでは怪獣出現と共に逃げ惑う群衆が表現されても武器を持った一般人は皆無である。戦争を境に日本人の気質にも変化があったことを窺わせてくれる様にも感じる。
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※これがジェネレーションギャップか…
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※時代が平成になると…

またアメリカの歴史を見れば明らかだが、アメリカの西部開拓の歴史は即ちネイティブアメリカンの迫害である。更に黒人を奴隷として扱ってきたのが実際の所である。確かにリンカーン奴隷解放宣言を出したが、彼がネイティブアメリカンの迫害を行っていたのもまた事実である。

そしてアメリカは建国以来人種差別を行う側にいたと言うのも忘れてはならない事である。アメリカで(表向き)人種差別が無くなったには戦後になってからであるが日本ではアメリカの様な明らかな人種差別的政策は無かった。

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※パリ講話会議の参加メンバー

勿論日本にも戦前は女性差別などの差別があったのは間違いない朝鮮半島を併合して朝鮮人の身分差別を解消させたり、1919年のパリ講話会議で「人種差別撤廃条項」を提案したのは日本であり、採決の結果11対5の賛成多数にも関わらずそれを葬り去ったのはアメリである。また教育に関しても帝国大学大阪や名古屋より先に台湾や朝鮮に創設しているし、参政権の納税要件を撤廃した際(俗に言う普通選挙法)にも、(男性だけだが)参政権日本国籍保有かつ内地居住」だけが要件だった。これは当時の朝鮮籍や台湾籍を持つ者でも内地に居住してさえいれば参政権はあったと言う意味である。逆に内地籍でも朝鮮や台湾に移住すれば参政権は無かったのである。この様に日本ではそもそも人種差別は行っていなかったのだが、オバマはそこを認識しているのだろうか?どうも筆者には理解していないように感じるのである。これは簡単に解決出来る問題ではないが、要はアメリカと言う国が歴史上行ってきた事のツケだとも言える。解決の為にはアメリカも自身の歴史と正面から向き合う必要がある。レームダック化したオバマ政権には荊の道だが、避けては通れない道でもあるだろう。