古代史でも日韓歴史認識バトル

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《日本の文化庁がホームページで朝鮮半島由来の文化財について「任那時代」と表記したり、6日に検定合格した中学校教科書に「任那日本府」が記載されたりしているとして、任那の存在を否定する韓国で「古代史でも日本が歪曲」(韓国紙)との非難が起きている。

9日には李完九首相が、「事実に基づかない歴史歪曲をしてはならない。真実を隠すことはできず、厳しい歴史の評価を受けるだろう」と批判した。

任那日本書紀にも登場し、4~6世紀に朝鮮半島南部にあり、倭(大和朝廷)の勢力圏だったとされる。中国吉林省にある好太王(広開土王)の碑文にも倭とともに任那の存在をうかがわせる文字がある。

旧日本軍による好太王碑文の“改竄説”があり、日本では一時期、任那存在説は後退。しかし、2006年に中国社会科学院の研究者の発表により、改竄説は否定された。

このため、日本では最近任那存在説が強くなっているのだが、韓国では06年以前の日本の専門家による「根拠がない」との説などを持ち出し、否定を継続。今回はこれに首相まで乗り出した形だ。》

http://www.sankei.com/world/news/150409/wor1504090037-n1.html

李完九「事実に基づかない歴史歪曲をしてはならない。真実を隠すことはできず、厳しい歴史の評価を受けるだろう」と鼻息荒いが、その言葉はそっくりそのまま自分達に返ってくる。お約束の「韓流ブーメラン」である。
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…例えば高麗王朝17代王仁宗の命を受け1145年に編纂された高麗国正史「三国史記、及び1280年代完成の「三国遺事」は共に朝鮮最古の部類の史書だそうだが、この時点で連中の言う歴史の嘘が簡単に暴かれると言う。

三国史記新羅本記は「第4代王昔脱解は倭の東北千里から来訪し、その大輔(≒総理大臣)は倭人瓠公」とする。系図では第16代迄は脱解直系子孫、第17代以降も傍系子孫だ。初代朴赫居世も倭人と推定する説まであるそうだ。従って高麗及び李氏朝鮮の本家新羅は、倭人系国家だったと言える。

後漢書韓伝は「馬韓、弁辰は南に倭と接する」と明記倭の勢力圏が朝鮮半島まで及んでなければこの様な表現になる筈もない。更に魏志倭人伝は「馬韓を経て(陸行すると)倭の北岸狗邪韓国に到り」と書く。ついでに言っておくとここから船に乗って初めて対馬国に到る。韓国人は「対馬は韓国領土だ」等と嘘出鱈目を吹聴するが、何の事はない。少なくとも3世紀の邪馬台国の時代から対馬は日本の領土だった支那の公式歴史書は認めている。古代朝鮮半島南西部には倭人の国(もしくは勢力圏)が確実に存在していたと考える以外ない。
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更に「宋書」は、 宋文帝が倭王済「使持節都督・新羅任那加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事」の号を授けた記述や有名な倭王武の順帝宛上表文の「海を渡って平らげること95ヶ国…云々」を認め、順帝から「武を使持節都督倭・新羅任那加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王に叙した」と言う記述がある。つまり倭の管轄下に朝鮮半島諸国があることを宋順帝は公式に認証している。

…これらは言うまでもないが日本の史料ではなく、支那朝鮮の史料に基づく記述である。特に支那の史料は第三者的視点で記述されている。そういう視点からの指摘に韓国はどう答えると言うのか?勿論日本の史料でも「日本書紀」等に「任那」の表記が存在する。「事実に基づかない歴史歪曲」をしているのは一体どちらなのか?最早自明の事である。
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その他にも新羅・百斉・伽耶の勢力圏内だった地域で日本産のヒスイ製勾玉が大量に出土高句麗の旧領での出土は稀)しているが、朝鮮半島には勾玉に使われるヒスイの産地はなく、(東アジア全体でも日本の糸魚川周辺とミャンマーしか産地がないそうだ。)更に最新の化学組成の検査により朝鮮半島出土の勾玉が糸魚川周辺遺跡のものと同じであることが判明していたり、朝鮮半島南部で日本独特の前方後円墳が存在している事実を韓国はどう説明するのか?説明出来るものなら是非ともやって貰いたいものだ。…韓国にはかつて日韓で共通の歴史認識の教科書を作ろうとしてその作業部会で具体的史料を提示できなくなり、「韓国に対する愛情はないのか!?」と逆ギレして逃げ出した優秀な歴史学者が多数いると言うから、任那」が日本の勢力圏でなかった事を反証するのは朝飯前であろう。

…結局幾ら騒いだ所で韓国の歴史そのものが嘘出鱈目捏造歪曲の集合体、ファンタジーなのだから日本の様に史料や証拠に基づく主張を覆せる筈もない。韓国人はあれこれ言う前にそう言う考古学の「きほんのき」から学んではどうか?いやいや、その前にまずは漢字の勉強から始めなくてはならないだろう。そもそも漢字で書かれた自国の史料も読めないのでは話にならない。韓国人の語る歴史擬とは史料や証拠の前では一瞬にしてこの様な惨めなものになる。憐れむ他ない。