稲田防衛相の靖国神社参拝を批判する理由はない
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稲田防衛相が真珠湾訪問から帰国してすぐに靖国神社を参拝した。
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http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20161229-00000169-jnn-pol
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支那朝鮮の「予想通り」の反応をはじめ、メディアも懐疑的に報道しているが、稲田防衛相が安倍首相に同行して行った真珠湾でも、帰って来て参拝した靖国神社でも「戦争で亡くなった人々を慰霊するため」だったのはまず間違いなかろう。真珠湾訪問がそうであっても靖国神社は違う、と言いたいのであればその客観的な証拠を添えてその主張をするべきである事は言うまでもない。
稲田防衛相に限らず、政治家が真珠湾で「戦争で亡くなった人々を慰霊するのは問題ない」が、「靖国神社で同様の事をする」事を問題視するのは
「慰霊していい人とそうでない人がいる」
事を許容するのと意味は変わらない。勿論それこそ「差別的な」考えに基づいたものである事は言うまでもないが、反対する連中はそういう事を内包した主張をしているものだと言う理解で構わないのだろう。
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宗教色を問題視する人もいるかも知れないが、靖国神社を参拝する際、戦没者を追悼する形式は特に問われない、と聞いたことがある。「神社だから神道形式でなくてはならない」と言う事ではないらしい。…ただし「他に参拝する人の迷惑にならなければ」だ、そうだが。
そういう意味では例えばアメリカ大統領の就任式の際に聖書に手を置いて宣誓するのを政教分離の観点から問題視しないのと同様、形式的なものに過ぎないと判断しても差し支えないだろう。アメリカ大統領が就任する際、聖書に手を置いて宣誓して即座に「政教分離に反する」と大々的に批判された人がいただろうか?靖国神社に参拝した政治家だって全員が神道を信仰している訳ではない。政治資金から玉串料を支出しているのでもなければそう目くじら立てる事もないだろう。
また、戦争犯罪人のまま靖国神社に祀られた人はいない。そうなる以前に全員名誉を回復する決議がなされ、釈放に関してもサンフランシスコ平和条約の規定に基づいて行われている。キチンとした手続きを踏んで行われた以上、後からケチを付ける筋合いが何処にあると言うのだろうか?批判する人ほど不思議なことに「歴史を知らない」のである。
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そういうおかしな空気を排除して戦没者追悼が出来る様にする事も政治の役目だ。自国の為に命をかけた人々を国が責任を以て追悼するのは「国として」の権利であり、義務でもある。それを否定する事は「日本が独立国家である」事をも否定するのと同義である。それを否定する連中は一体日本を何だと心得ているのか?そういう根底からして反対派の主張は問題がありすぎるのである。