東京メトロの対応は「勇み足」だったのか?

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4月29日に北朝鮮がミサイルを発射した際、東京の地下鉄は一時運行を見合わせた。時間にすれば10分程であったが、ミサイル発射が「成功なのか失敗なのか」「日本に向かうのかそうでないのか」「日本に向かうとしたら何処かに落ちる可能性はあるのか」等、必要な情報を収集して瞬時に適切な判断が要求される。東京メトロとしては「乗客の安全」を第一に考えた結果、その様な対応を取ったのだろう。とは言え、1万人以上の人々に影響が出たのもまた事実である。

それを「過剰反応だ」と韓国・ハンギョレ新聞が以下の様な記事で冷ややかに見ている。
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記事は翌日の東京新聞朝刊記事を多く引用する形で書かれている。東京新聞の記事が不可解なのはその時偶然霞ヶ関駅にいたと言うIT関連ジャーナリスト、神田敏晶氏の話を出しているのはまだ理解出来なくもないが、

「東京で地下鉄を止めるなんて、過剰に反応しすぎだ」

と言う在日三世だと言う朴元浩氏なる人物の話を出している事だ。彼は更に

北朝鮮がやっていることはもちろん問題だが、日本政府や行政が過剰な恐怖心をあおっているのも問題だ」

とコメントしているが、一体東京新聞はどういう目線で記事を書いているのか?誰の目から見ても北朝鮮のミサイルが日本の安全保障の脅威になっているのは明らかだ。政治の役目は「国家国民の安全を守る」事なのだから北朝鮮のミサイルに対して万全を期した対応を行うのは当然である。ミサイルが着弾して被害が出てからでは遅いのだ。どうせ東京新聞の様な三下メディアは今回の様に失敗などの理由で被害が出なければ「過剰反応」と批判し、仮に日本に被害が発生したり、その一歩手前の極めて危険な状況が発生すれば「政府の対応が悪い」「安倍政権の危機管理能力の問題」等と政権批判をするのは火を見るより明らかであろう。こういうのを「批判の為の批判」と言うのだろうが、朴元浩氏なる在日韓国人のコメントを用いて政権批判に繋げるあたり、東京新聞が彼の話を聞けたのが偶然であれ、仕込みであれ、どちらにせよ「作為的な何か」を感じる。

同じ左派同士だからか、ハンギョレ東京新聞の記事を引用して日本政府の対応や電車を止めた東京メトロを批判的に報じるのは必然の流れなのだろうが、政府にしろ東京メトロにしろ、「人命の安全が第一」と言う大前提があるのだから寧ろ「慎重すぎるに越した事はない」と言うべきである。

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また東京は「地下鉄サリン事件」と言うテロ事件を経験している。この時、被害に遭った日比谷線の中目黒行きの電車では3車両目で新聞紙に包まれたものから刺激臭が漂いだしたのは秋葉原駅に着いた頃だったにも関わらず、その電車が非常停止したのは築地駅だった。その間電車を走らせた事で結果的に被害の拡大を招いてしまった。そういう教訓が「異常事態が発生したら即運行停止」と言う今回の対応に繋がっている、と言えるが、ハンギョレにそういう理解はあるだろうか?


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韓国の場合、地下鉄構内で火災が発生しても運転士が真っ先に乗客そっちのけで逃げ出す、なんて事案があった。また日本の電車は韓国と違って車両に異常が発生しても当該箇所をガムテープで補修してそのまま運行、なんて真似も絶対に有り得ない。韓国人は決して認めたくはないのだろうが、日本と韓国では危機管理能力も非常事態への対応能力も根本的に異なる。韓国人は「韓国の方が日本より上、最悪でも互角」位に思っているのだろうが、実際は「日本と韓国では天と地以上の差」が存在する。韓国人の思いとは逆に日本の鉄道運営システムは世界一、と言っても過言ではないのだから、そういう事を韓国人が批判するのは「天に唾する」結果にしかならない。勿論ハンギョレにも「言論の自由」「報道の自由」はあるが、あれこれ言う前にそういう「現実」を認識してからにしてはどうか?


またハンギョレ北朝鮮のミサイルが発射・着弾した場合の避難についての日本政府の発表や、自衛隊による米艦防護について批判的に報じているが、こういう時に「最悪の事態」を想定して予め対応を考えるのが「危機管理」ではないのか?安倍首相は「国家国民の安全を守る」為に普通に「仕事をしている」に過ぎないが、韓国自身はどうなのか?「大丈夫だろう」で取り返しの付かない被害を蒙ってから騒いでも既に手遅れだが、日本以上の危機管理能力があるとでも言うのだろうか?現実は「限りなく『蚊帳の外』」に近いのだが…

東京メトロは「今後はJアラートが鳴った時」でなければ電車の運行を止めないそうだが、「勇み足」と言うより「キチンと緊張感を持っている」と受け止めるべきであろう。北朝鮮情勢が外交的に解決出来ればそれに越した事はないが、何らかの軍事的行動を想定しない選択肢はこの状況下ではまず有り得ない。末端の一般国民であってもそれだけは忘れてはならない。それが自身の生命や財産を守る第一歩に繋がるのではないだろうか?好ましくはない事だが、「緊張感」は事態が沈静化するまでは忘れてはならないだろう。それだけは確実に言える、と思うのである。
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